寛永元年甲斐国四郡村高帳(読み)かんえいがんねんかいのくによんぐんむらだかちよう

日本歴史地名大系 の解説

寛永元年甲斐国四郡村高帳(寛永元年四郡村高帳)
かんえいがんねんかいのくによんぐんむらだかちよう

一冊

成立 寛永元年

写本 山梨県立図書館

解説 慶長古高帳が郡別であったのに対し、九筋二領に編成されている。表紙に寛永元年の年紀がある。山梨郡万力筋・同郡栗原筋・八代郡大石和筋・同郡小石和筋・同郡中郡筋・山梨郡中郡筋・巨摩郡中郡筋・同郡西郡筋・八代郡西郡筋・巨摩郡武川筋・同郡逸見筋・山梨郡北山筋・巨摩郡北山筋・同郡河内・八代郡河内・都留郡の順に村高が記され、寺社領が続いている。ただし慶長古高帳と本帳の村高や村名を比較すると、数字や村名の表記が異なる場合や、慶長古高帳・本帳のどちらか一方に抜けている村もみられる。たとえば巨摩郡河原部村は慶長古高帳では五七七石余だが、本帳では九七七石余となっている。また慶長古高帳では村高の記載のなかった巨摩郡在家塚村を本帳でみると二九九石とあり、実は慶長古高帳では一つ前の百々村の村高三二七石が抜けていたために在家塚の村高が百々村の所に記され、在家塚村の分が空白となっていたことがわかる。都留郡についてみると、村数は慶長古高帳が帳末に八〇ヵ村とあるのに実際に書かれているのは七三ヵ村であったのに対して、本帳は菅野大津村から小安須見村までの七ヵ村が加わって、八〇ヵ村となっている。村高の実合計も一万八千二六七石余となり、郡高二万石に近付いている。しかし支配についてみると、本帳には慶長古高帳では各村ごとに付されていた御蔵入の記載が相給村を除いてなくなり、帳末の領主名も御蔵入分の合計がないほか、慶長古高帳の二四名に対して領主名は一一名しか記載されておらず、入戸野又兵衛以下一三名の名が落ちている。この一三名は本文の村の支配領主名の部分には記されているので、帳末の記載が落ちたものと思われる。本帳は慶長古高帳と異なる系統の本であるが、両者を比較検討することによって、より原型へ近付くことができるといえよう。

活字本 甲州文庫史料四

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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