寛文印知(読み)かんぶんいんち

改訂新版 世界大百科事典 「寛文印知」の意味・わかりやすい解説

寛文印知 (かんぶんいんち)

江戸幕府の4代将軍徳川家綱の領知判物(はんもつ)・朱印状が1664年(寛文4)諸大名に,翌65年公家寺社に一斉に発給されたことをいう。家康秀忠・家光3代にわたり区々に発給されていたものが統一的・同時に発給され,大名領知権が将軍の全国的支配権に完全に包含されたことで,将軍権力の強化・確立をもたらしたといえる。大名甲府館林尾張紀伊・水戸の徳川5家,伊予宇和島と分知吉田の両者朱印状下付を願った伊達家を除いて全部に判物・朱印状・目録が下付された。公家にはすべて,寺社に対しては徳川家2~3代の朱印状所持は全部,1代のみは50石以上に,寺領がなく境内ばかりの朱印状であっても一宗の本寺には朱印状が頒布された。奉行は,大名領は小笠原長矩・永井尚庸,公家領稲葉正則寺社領井上正利・加々爪直澄,符案と訂正は右筆支配久保正之らが行った。発給をうけた大名219通,公家97通,門跡27通,比丘尼27通,院家12通,その他の寺院1076通,神社365通,その他7通,合計1830通に及んだ。綱吉は84年(貞享1)徳川家1代のみの朱印状所持の小寺社を含めて継目安堵(つぎめあんど)を行い,大名・公家・寺社総数4878通の判物・朱印状を発給し,吉宗以後の将軍もこれに倣った。寛文印知は領知判物・朱印状・目録の文書様式と書札礼を確立したことでも画期的で,発行の形式手続が整備され,以後の模範とされた。寛文印知の全判物・朱印状・目録の写本を翻刻したものに国立史料館編《寛文朱印留》上下がある。
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百科事典マイペディア 「寛文印知」の意味・わかりやすい解説

寛文印知【かんぶんいんち】

江戸幕府4代将軍徳川家綱が代替りに伴い諸大名および公家・寺社に朱印状・領知判物(はんもつ)を発給したことをいう。諸大名には寛文4年(1664)に,公家・寺社には翌5年に一斉に発給された。発給を受けた大名219通,公家97通,門跡27通,比丘尼27通,院家12通,寺院1076通,神社365通,その他7通の合計1830通に及んだ。寛文印知により朱印状・領知判物・目録の発行の形式や手続きが整備され,以後将軍の代替りごとに行われた所領安堵の模範とされた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「寛文印知」の解説

寛文印知
かんぶんいんち

江戸時代,4代将軍徳川家綱のとき,幕府が全国の諸大名・公家・寺社に対して領知承認をいっせいに行ったこと。将軍の代替りにともなう領知判物・朱印状の発給は,従来は個々になされていたが,1664年(寛文4)全国の諸大名に対して一斉に発給された。対象となったのは,御三家などの徳川一門と一部の大名分家をのぞく全大名で,ほかにすべての公家と由緒ある寺社に対しても翌年に発給。その総数は大名とあわせて1830通にのぼった。この時の書式や手続きはその後も踏襲され,領知判物・朱印状の形式が整えられた。このおりの発給文書は「寛文朱印留」「寛文印知集」などに所収。

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世界大百科事典(旧版)内の寛文印知の言及

【知行】より

…大名は,将軍の代替りごとに交付される領知目録によって,知行石高と領地の所在地を国・郡・村ごとに指定されている。幕府は1664年(寛文4)将軍家綱の代に,全国の大名に対し領知判物,朱印状および領知目録をいっせいに発行したが(寛文印知),その結果を示す〈寛文朱印状〉(《寛文印知集》)によると,224家の大名の知行高合計は1781万4200石余であった。 大名の領地を支配関係によって大別すると,大名が直接支配し年貢を収納する蔵入地(くらいりち)と,家臣に宛て行う給地(家臣知行分)とに分けられる。…

※「寛文印知」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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