寛平御時后宮歌合(読み)かんぴょうのおおんとききさいのみやうたあわせ

精選版 日本国語大辞典 「寛平御時后宮歌合」の意味・読み・例文・類語

かんぴょうのおおんとききさいのみやうたあわせ クヮンピャウのおほんとききさいのみやうたあはせ【寛平御時后宮歌合】

平安前期の歌合。一巻。寛平元~五年(八八九‐八九三)の間に、光孝天皇の后(当時皇太夫人班子女王主催。春、夏、秋、冬、恋五題の各二〇番計一〇〇番二〇〇首(現存一九二首)。詠者は紀貫之紀友則大江千里ら。「新撰万葉集」の成立と密接な関係があるらしい。寛平歌合。班子女王歌合。

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デジタル大辞泉 「寛平御時后宮歌合」の意味・読み・例文・類語

かんぴょうのおおんとききさいのみやのうたあわせ〔クワンピヤウのおほんとききさいのみやのうたあはせ〕【寛平御時后宮歌合】

平安時代歌合わせ。寛平元年~5年(889~893)に、光孝天皇の后、班子はんし女王が主催。春・夏・秋・冬・恋の5題各20番、計100番200首。寛平歌合。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「寛平御時后宮歌合」の意味・わかりやすい解説

寛平御時后宮歌合
かんぴょうのおおんとききさいのみやのうたあわせ

『皇太夫人班子女王歌合(こうたいぶにんはんしじょおうのうたあわせ)』ともいう。宇多(うだ)天皇の後援のもとに、光孝(こうこう)天皇皇后班子女王が主催した歌合。后宮(こうぐう)は歌合が行われた場所で、主催を宇多天皇とする説もある。893年(寛平5)9月以前の成立。春、夏、秋、冬、恋の5題を各20番、あわせて100番200首という大規模なものであるが、歌合行事はなく、撰歌合(せんかあわせ)であったといわれる。作者としては、藤原興風(おきかぜ)、紀友則(きのとものり)、紀貫之(つらゆき)、在原棟梁(ありわらのむねやな)、源宗于(むねゆき)、藤原敏行(としゆき)、壬生忠岑(みぶのただみね)、素性(そせい)、大江千里(おおえのちさと)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、在原元方(もとかた)、伊勢(いせ)、坂上是則(これのり)、文屋朝康(ふんやのあさやす)などが参加しており、貫之ら『古今和歌集』の撰者たちが歌壇に登場して活動し始めた時期の歌合として和歌史的にも注目される。『是貞親王家歌合(これさだのみこのいえのうたあわせ)』とともに、菅原道真(すがわらのみちざね)撰述と伝えられる和歌の漢詩訳集である『新撰万葉集』に多数入集(にっしゅう)して、『古今和歌集』の成立の前提となったものである。『古今和歌集』には55首も収められている。撰外歌と思われるものも含めて206首ほどの歌が伝えられているが、歌合本文としての完本は現存せず、十巻本類聚(るいじゅう)歌合本では189首となっている。

[小町谷照彦]

『萩谷朴著『平安朝歌合大成 第1巻』(1957・私家版/復刻版・1979・同朋舎出版)』『高野平著『寛平后宮歌合に関する研究』(1976・風間書房)』

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百科事典マイペディア 「寛平御時后宮歌合」の意味・わかりやすい解説

寛平御時后宮歌合【かんぴょうのおんとききさいのみやのうたあわせ】

平安前期の歌合。《寛平后宮歌合》《寛平御時中宮歌合》とも。宇多天皇の母后班子女王が893年以前に催した。収載歌は春,夏,秋,冬,恋の5題各20番計200首が原形だったらしいが,現存伝本に完本はない。勝ち負けの判がない等,歌合としての形式には不備な点もあったが,大規模な歌合であった。《新撰万葉集》の成立(893年9月)と関連が深く,この歌合から計170首が入集している。出詠歌人には紀友則,藤原興風,紀貫之等がいる。
→関連項目凡河内躬恒

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