富田常雄(読み)トミタツネオ

デジタル大辞泉 「富田常雄」の意味・読み・例文・類語

とみた‐つねお〔‐つねを〕【富田常雄】

[1904~1967]小説家東京の生まれ。はじめ劇団に所属して新劇運動に参加し、多く作品脚色。その後大衆作家に転じて、痛快な時代小説人気を集めた。「」「刺青しせい」で直木賞受賞。他に「姿三四郎」「弁慶」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「富田常雄」の意味・わかりやすい解説

富田常雄
とみたつねお
(1904―1967)

小説家。東京生まれ。父常次郎は著名な柔道家。小・中学時代から戯曲、小説を書き、1927年(昭和2)明治大学商学部卒業後、舟橋(ふなはし)聖一や村山知義(ともよし)らの劇団「心座(こころざ)」の一員となり、新劇運動に参加した。42年、父の友人である武道の天才児をモデルにした人間形成小説『姿三四郎』を発表、『面』(1948)、『刺青(しせい)』(1947)の両作品で49年に直木賞を受賞した。51年(昭和26)から55年にかけて痛快時代小説『弁慶』を『東京新聞』に連載し、人気を得た。『雪もち笹(ざさ)』(1950)、『ひょっとこ』(1960)などの作品は、作者の小説巧者としての筆の冴(さ)えを示す珠玉編である。

磯貝勝太郎

『『富田常雄選集』全15巻(1958~59・東京文芸社)』『『姿三四郎』上下(1977・講談社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「富田常雄」の意味・わかりやすい解説

富田常雄
とみたつねお

[生]1904.1.1. 東京
[没]1967.10.16. 東京
小説家。講道館の著名な柔道家富田常次郎の子として生れた。明治大学商学部卒業。初め演劇運動に参加したが,柔道小説『姿三四郎』 (1942) の成功大衆文学に転じた。 1949年『刺青』 (47) ,『面』 (48) で直木賞受賞。ほかに『弁慶』 (51~55) ,『ひょっとこ』 (60) ,『柔 (やわら) 』 (64~65) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富田常雄」の解説

富田常雄 とみた-つねお

1904-1967 昭和時代の小説家。
明治37年1月1日生まれ。講道館四天王のひとり富田常次郎の子。昭和3年河原崎長十郎らの劇団心座文芸部にはいる。17年「姿三四郎」で流行作家となる。24年「刺青」「面」で直木賞。「弁慶」「熊谷次郎」などの時代物から「浮雲日記」などの現代物まで手がけた。昭和42年10月16日死去。63歳。東京出身。明大卒。

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世界大百科事典(旧版)内の富田常雄の言及

【姿三四郎】より

…講道館の門人第1号で柔道家として著名な富田常次郎(1865‐1937)の子で作家の富田常雄(1904‐67)が,1942年に発表した小説。これが彼の出世作となった。…

※「富田常雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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