富田屋敷跡(読み)とみだやしきあと

日本歴史地名大系 「富田屋敷跡」の解説

富田屋敷跡
とみだやしきあと

[現在地名]徳島市南仲之町二丁目・伊月町一―二丁目・富田橋一―二丁目

東富田ひがしとみだの中心地にあった延宝六年(一六七八)成立の富田藩(富田新田藩)の陣屋跡。元禄四年(一六九一)御山下絵図に「飛州様御屋敷」と描かれ、北は裏中うらなかノ丁(現南仲之町一―四丁目)から南は掃除そうじ(現中央通一―三丁目)に至る約一八〇メートル、東は紙御蔵かみぐら丁筋から西の行抜ゆきぬけ丁筋に至る約一五〇メートルの範囲で、面積は約二万七〇〇〇平方メートルほどである。

〔富田藩〕

延宝六年徳島藩四代藩主蜂須賀綱通は参勤交代で帰国の途中急病で倒れ、七月晦日没した。綱通は後を継ぐ嫡子届をしていなかったため、家名断絶・領地没収の危機となったが、三代藩主光隆の弟隆重の尽力により、光隆弟隆矩の子正儔(のちの綱矩)末期養子として認められ、五代藩主となった。この功により、また藩主綱矩後見のため、隆重に五万石が分知されて富田藩が成立した。「寛政重修諸家譜」などによれば隆重は徳島藩二代藩主忠英の次男で、母繁姫(小笠原忠真養女)実父は徳川家康の外曾孫小笠原忠脩、実母は家康の外孫本多忠政の娘で、忠英の母は忠脩の姉万(敬台院)であったから、隆重も兄光隆同様家康の血を引いていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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