しゅく【宿】
[1] 〘名〙
① やどや。はたごや。泊まりやど。旅館。旅宿。〔
日葡辞書(1603‐04)〕
※仮名草子・仁勢物語(1639‐40頃)下「此男、牛を売りに行きけるに、その
しゅくの農人の女
(め)にてなむ有ける」
※平家(13C前)八「鎌倉出の宿より鏡の宿にいたるまで、宿々に十石づつの米を置かる」
※滑稽本・
東海道中膝栗毛(1802‐09)四「やうやく宮の宿
(シュク)にいたりし頃は、はや日くれ前にて」
※結城氏新法度(1283)三二条「宿、にしの宮・三橋・あふやせ・玉岡・ひとて、何方之町きと・門・はしやふれ候を」
※洒落本・古契三娼(1787)「品川で宿(シュク)のうちへ出る。かごかきは横目をするがやくさ」
※徒然草(1331頃)二三九「八月十五日、九月十三日は、婁宿(ろうしゅく)なり。この宿、清明なる故に、月を翫(もてあそ)ぶに良夜とす」
[2] 〘接尾〙 旅の宿りをかぞえるのに用いる。泊まり。泊(はく)。
※俳諧・奥の
細道(1693‐94頃)石の巻「戸伊麻
(といま)と云所に一宿して、
平泉に到る」
や‐ど・る【宿】
〘自ラ五(四)〙 (「屋を取る」の意)
① 旅で宿をとる。旅先で夜、他の家などにとどまる。宿泊する。また、一時的に他の場所に身を置く。
※書紀(720)仁徳三八年七月(前田本訓)「昔、一の人有て菟餓に往きて野の中に宿(ヤトレ)り」
※万葉(8C後)一五・三六九三「もみち葉の散りなむ山に夜杼里(ヤドリ)ぬる君を待つらむ人し悲しも」
③ 中にはいり込んだり付着したりしてとどまる。
※東大寺諷誦文平安初期点(830頃)「仏、〈略〉宿(ヤト)りたまは不(ず)といふこと无(な)き所に宿(ヤドリ)たまひたり」
④ 光や影が、一時うつる。
※
古今(905‐914)恋五・七五六「あひにあひて物思ふころの我袖にやどる月さへぬるるかほなる〈伊勢〉」
⑤ 植物が他の植物に寄生する。
※源氏(1001‐14頃)宿木「いと気色ある深山木にやどりたる蔦の色ぞ、まだ残りたる」
⑥ 胎児としてこもる。はらまれる。
※撰集抄(1250頃)四「はじめて
胎内にやどりて、十月身を苦しめ」
⑦ 星がその座を占める。
※即興詩人(1901)〈森鴎外訳〉血書「鳥と魚との水底に沈みし時にこそ、この姥は汝が星の躔(ヤド)るところを見つれ」
やど・す【宿】
〘他サ五(四)〙
① やどらせる。宿を貸す。客として泊める。宿泊させる。
※宇津保(970‐999頃)俊蔭「あはれ、旅人にこそあなれ。しばしやどさむかし」
② はいり込ませたり付着させたりしてとどめる。とどまらせる。また、はいりこませてふくむ。ふくませる。
※後撰(951‐953頃)春下・一三三「ちることのうきもわすれてあはれてふ事をさくらにやどしつる哉〈源仲宣〉」
③ 光や影を一時とどめる。うつす。
※竹取(9C末‐10C初)「おく露の光をだにぞやどさましををぐら山にて何もとめけん」
④ 他のもののところにあずける。
※後撰(951‐953頃)雑四・一二五三・詞書「あひしりたりける女蔵人のざうしに、つぼやなぐひ・おいかけをやどしおきて、侍りけるを」
⑤ (胎児を)はらむ。
※延慶本平家(1309‐10)四「汝が胎内に一人の男子を宿せり」
や‐どり【宿】
〘名〙 (動詞「やどる(宿)」の連用形の名詞化)
① 宿をとること。旅に出て、他の家などで夜寝ること。また、その所。
※催馬楽(7C後‐8C)
飛鳥井「飛鳥井に 也止利
(ヤトリ)はすべし」
※宇津保(970‐999頃)蔵開下「そこなるむつかしき物どもは、
乳母のやどりに残さず取らせて」
③ 一時的にとどまること。また、そのところ。
※古今(905‐914)春下・七六「花散らす風のやどりは誰か知る我にをしへよ行きてうらみむ〈
素性〉」
※猿投本文選正安四年点(1302)「星の躔(ヤトリ)建こと殊なり」
じゅく【宿】
※浅草紅団(1929‐30)〈川端康成〉三九「『私さやうなら。宿(ジュク)から渡って来た、左利きの彦に厄介なことを頼まれてます。〈略〉』『宿(ジュク)』とは新宿といふ意味だ」
しく【宿】
〘名〙 「しゅく(宿)」の変化した語。
※洒落本・呼子鳥(1779)品川八景「なんとしくへでもいかふしゃアねヱかのふ」
しゅく‐・する【宿】
〘自サ変〙 しゅく・す 〘自サ変〙 やどる。とまる。宿泊する。
※海道記(1223頃)序「
水沢に宿して風より立つ」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「宿」の意味・読み・例文・類語
しゅく【宿】
[名]
1 泊まること。また、その場所。やどや。旅館。
2 宿場。宿駅。「間の宿」
3 星座。星宿。
[接尾]助数詞。旅の宿りを数えるのに用いる。「一宿一飯」
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
しゅく【宿】
平安時代末期から各地の街道沿い,河海の港津,河原(川原)(かわら),峠のふもとなど交通の要衝にできた集落で,旅宿・運輸業者の設備,遊女の溜まりなどが中心となって形成されていた。古代末~中世における交通量の増加にともなっておのずと発達した宿もあれば,東海道のいくつかの宿のように鎌倉幕府が主として京都との連絡の便をはかるために政策的に復活・新設したものもあった。道筋・川筋の変動や,要衝となっていた地点の移動によって,宿の盛衰はいちじるしかったが,地理的に有利であり,交通量も減少しなかった宿では,時代をおうにつれて定住人口が増し,常設の店(たな)をもつ商工民の住居が並んだり,社祠や,宿泊所を兼ねる寺院や,寺院(とくに禅寺)が旅の僧尼のために設けた宿泊施設である接待所(接待屋)も続々とあらわれて,しだいに町としての様相,機能をととのえていき,これが地方都市の発達の一母体をなしたのである。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
世界大百科事典内の宿の言及
【駅逓司】より
…1868年(明治1)閏4月,太政官官制の改定にともない,新設の会計官中に設けられた。当時の陸上輸送は,軍事・行政上の公用通行の激増と宿,助郷(すけごう)の疲弊によって,深刻な困難に陥っていた。発足当初の駅逓司は諸道の人馬継立(つぎたて)を管掌し,宿駅制度の改革を進めたが,村々の抵抗によって困難を極めた。…
【清水坂】より
…平安時代初期の延暦年間(782‐806)に清水寺が創建されて以来,人々の信仰を集めたので,この坂も洛中からの参詣路として,やや南方にある五条坂や,北方の八坂方面から当坂に通じる三年坂(一名は産寧坂(さんねいざか))とともに,しだいににぎわうようになった。また,当坂は洛中より渋谷越(ごえ)で洛東の山科に通じ,それより南方の醍醐・宇治・奈良方面へ行く道筋につながり,あるいは北方の東海道にも合流する便利な路線に位置していたので,清水寺の門前一帯を中心として早くから交通の要衝となっていたらしく,おおよそ10世紀末ごろから11世紀にかけての時期には,すでに運輸を生業としていた車借(しやしやく)や,乞食(こつじき)や,坂非人(さかのひにん)たちが相当数ここに集住して,いわゆる宿(しゆく)を形成していたと推察されている。 平安時代の最末期より南北朝時代にかけて,当坂周辺の人口はめだって増えたようであるが,その多くは,やはり車借,乞食,坂非人たちであったらしい。…
【宿場町】より
…早くから河口,山麓などに発達して,平安時代には淀川と神崎川(三国川または江口川)の分岐点にあった江口(えぐち)や,その河口の神崎(かんざき),蟹島(かしま)などには多数の遊女がいて,京都の貴族らも遊興に赴いたほどであった。宿(しゆく)という名は平安後期から使われ出し,鎌倉時代には駅と併用されているが,しだいに宿が一般的となった。この時代には東海道の通行が多くなり,天竜川西岸の池田宿,浜名橋西畔の橋本宿などは繁華であった。…
【漂泊民】より
…おのずとそれは,人間とその社会,歴史をとらえるさいの二つの対立した見方,立場にもなりうる。例えば定住的な農業民にとって,漂泊・遍歴する人々は異人,〈まれひと〉,神であるとともに乞食であり,定住民は畏敬と侮蔑,歓待と畏怖との混合した心態をもって漂泊民に接したといわれるが,逆に漂泊・遍歴する狩猟・漁労民,遊牧民,商人等にとって,定住民の社会は旅宿の場であるとともに,交易,ときに略奪の対象でもあった。また農業民にとっては田畠等の耕地が生活の基礎であったのに対し,狩猟・漁労民,商人等にとっては山野河海,道,市等がその生活の舞台だったのである。…
【世話役】より
…しかし,単なる順番で務める役ではない。順番の場合は当番とか宿(やど)という。したがって,世話役は組織内に常時存在する役ではなく,特別な事業をするときに,とりまとめ役として設定されることが多い。…
【もてなし】より
…客人に飲食や宿舎を与えてもてなす風習はほとんどあらゆる社会にみられるが,国家の権威が人心にいまだ十分浸透していない段階では,こうしたもてなしは,近代社会における場合とは比較にならぬほど大きな意義をもっている。 まず,そのような社会では,訪れる客のもてなしは個人の自由裁量にゆだねられるものではなく,一般に家や親族集団を単位として行われる社会的義務とみなされている。…
【若者宿】より
…若者宿という呼称は,(1)若者組の集会所,(2)若者たちの宿泊所,またはたむろする家屋,の双方に対して用いられる。(1)は若者組には必ず付属し,常設と臨時の2種があるが,一般的には民家の一部を借用するもので,ただ単に宿(やど)と呼ばれることが多かった。…
※「宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報