宮永郷(読み)みやながごう

日本歴史地名大系 「宮永郷」の解説

宮永郷
みやながごう

宮永市みやながいち町・宮永町・宮永新みやながしん町付近に比定される。文和五年(一三五六)三月一一日、宮永保・宮永庄が一条殿対御方に御恩として与えられたが、正親町公蔭知行の後、無沙汰となっていたらしい(京都御所東山御文庫記録)。「康富記」文安五年(一四四八)八月二一日条に中原康富が正親町家に招かれ、「就加州宮永郷事、有談合子細者也」とあり、康正二年(一四五六)の「造内裏段銭并国役引付」には「拾八貫二百七拾五文 正親町家 加賀国是時庄之内宮永郷段銭」とみえる。享禄四年(一五三一)一一月二九日、正親町実胤が家領宮永郷について三条西実隆と談合しているが(実隆公記)、当地について「堺御下知」と称して押領する者があらわれており(「三条西実隆書状案」同書紙背文書)、享禄の錯乱のなかでさかい(現大阪府堺市)足利義維・細川晴元政権と結託する動きがあったとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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