宮寺郷(読み)みやでらごう

日本歴史地名大系 「宮寺郷」の解説

宮寺郷
みやでらごう

狭山丘陵北麓を中心に、現入間市宮寺から所沢市じま、東京都瑞穂みずほ町の一部に比定され、江戸時代の富士山ふじやま高根たかね駒形こまがた(以上現瑞穂町)糀谷こうじや堀之内ほりのうちはやし・三ヶ島(以上現所沢市)中野なかの荻原おぎわら大森おおもり二本木にほんぎ谷戸やと矢寺やでらぼうの各村を包含するとみられる。村山党の宮寺氏の名字の地とされ、村山党系図(諸家系図纂)では村山頼任の孫家平を宮寺五郎と注記している。正嘉二年(一二五八)一月一〇日将軍宗尊親王が鎌倉鶴岡八幡宮参詣のとき、宮寺蔵人政員は供奉を命じられなかったにもかかわらず推参した(吾妻鏡)。同年八月一五日の将軍鶴岡放生会参詣にあたり、政員は前駆を命じられたが、衣冠の用意がないと称して辞退し、布衣の人数に加えられるよう所望したが許されなかった(同書八月八日条)

暦応二年(一三三九)八月一三日、足利義詮から「宮寺阿弥陀寺」に「入東郡縄竹村内伊宇土弥六跡」などの地が寄進された(「高師冬奉書」鎌倉市立図書館蔵)入東につとう縄竹なわたけ村は「風土記稿」にみえる中野村南方の飛地小名縄竹であろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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