宮古湾海戦(読み)みやこわんかいせん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宮古湾海戦」の意味・わかりやすい解説

宮古湾海戦
みやこわんかいせん

戊辰戦争のとき,明治2 (1869) 年3月 25日榎本武揚らに率いられた幕府海軍残存艦隊のうちの『回天』が,官軍艦隊の集結する宮古湾へ斬込みをかけた奇襲戦。当時榎本らの艦隊は箱館にあり,北上してくる官軍を迎撃する態勢のなかで,日本初の装甲艦として幕府がアメリカに発注した『甲鉄』 (のち『東』と改称) を,官軍の手から奪い返すことが目標であった。宮古湾襲撃艦隊は『回天』『蟠竜』『第二回天』の3艦であったが,故障などで実際に宮古湾内に達したのは土方 (ひじかた) 歳三らの斬込隊を乗せた『回天』だけで,激戦の末『甲鉄』を奪うことに失敗し,箱館に帰港。『回天』は甲賀艦長以下 19名戦死。三十数名負傷,官軍艦隊は8名が戦死した。副長荒井郁之助の率いる『回天』は港外に逃れ,遅参した『高雄』は追跡を受けて焼失した。 (→箱館湾海戦 )

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世界大百科事典(旧版)内の宮古湾海戦の言及

【宮古湾】より

…東側の重茂半島西岸には,北東から南西に走る約12kmのみごとな直線状の断層線が走っている。1869年(明治2)3月25日早暁,榎本武揚率いる旧幕軍の軍艦が,宮古港に入港した官軍艦船〈甲鉄〉と一戦をまじえた〈宮古湾海戦〉の舞台となった。閉伊川河口の北岸に鍬ヶ崎(くわがさき)漁港と1万トン岸壁の宮古港があり,さらに藤原海岸の埋立てによって4万トン岸壁が建設され,商業港となっているが,宮古湾口が水深60m,湾央部で20mと比較的浅く,また定置漁業やノリ,カキの水面養殖が行われ,サケの遡上するところでもあるため,港湾の工業的発展には問題も多い。…

※「宮古湾海戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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