室蘭(市)(読み)むろらん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「室蘭(市)」の意味・わかりやすい解説

室蘭(市)
むろらん

北海道南西部、内浦(うちうら)湾(噴火湾)に突き出た絵鞆半島(えともはんとう)とその対岸部一帯にわたる工業・港湾都市。1922年(大正11)市制施行。市名はアイヌ語モルエラニ(小さな坂道の下りた所の意)の転訛(てんか)とされる。JR室蘭本線、道央自動車道、国道36号、37号が通じ、韓国釜山(プサン)への定期コンテナ航路もある。

[奈良部理]

歴史

すでに慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に漁村があり、松前(まつまえ)藩政時代は絵鞆場所として重要視された。1797年(寛政9)にはイギリス船プロビデンス号が来航している。1799年からは幕府直轄地となり、盛岡藩(南部藩)がここに駐屯して警備にあたり、開拓使時代の1877年(明治10)輪西屯田(わにしとんでん)が置かれ、防衛の一基地となった。1872年札幌までの室蘭街道の全通で札幌への連絡港となり、1892年の北海道炭礦鉄道(ほっかいどうたんこうてつどう)(現、JR室蘭本線)の開通により石炭積出し港としてその価値が高くなった。一方、1907年(明治40)日本製鋼所設立、1917年(大正6)富士製鉄(現、日本製鉄)の進出があって、鉄鋼都市の性格をもつようになった。第二次世界大戦中も軍需基地であったため1945年(昭和20)艦砲射撃により被害を受けたが、戦後復興し、加えて北海道の石油精製地の一つとなり、1965年には室蘭港が重要港湾の指定を受けた。

[奈良部理]

市街

室蘭の中心部絵鞆半島は第三紀末の断層運動で生じた小島が砂州によって対岸と結ばれた陸繋島(りくけいとう)で、半島に抱かれた室蘭港は水深が大きく、半島が風波を防いで天然の良港をなしている。しかし平地は少なく、中央埠頭(ふとう)をはじめ各工場に設置されたものなどを含めて20近くの埠頭があり、日本製鉄などの工場は埋立地に設置されている。日本製鉄は輪西地区の大部分を占め、その西側、御崎(みさき)から母恋(ぼこい)にかけては日本製鋼所が立地する。その西に室蘭駅、胆振総合振興局(いぶりそうごうしんこうきょく)、市役所などの中心市街が形成されている。中心地区の北部に中央埠頭やフェリー発着所があり、その西方に函館(はこだて)どつくが立地している。対岸には日鉄セメント、ENEOSなど第二次世界大戦後の新しい工場があり、その背後に新しい商業センターがある。住宅地は人口増に伴い山地緩傾斜や、山地を刻む小河川の河谷に延びていったが、1965年以降、西方の白鳥台(はくちょうだい)に大規模な団地が造成された。またその廃棄土砂による埋立地に巨大な石油備蓄基地と、石油揚陸バースが建設された。1998年(平成10)には絵鞆半島先端の祝津町と対岸の陣屋町を結ぶ白鳥大橋が開通した。

[奈良部理]

産業・観光

室蘭は従来道央一の港湾工業地と広い商圏をもつ商業地、交通の要地であったが、1972年に完成した苫小牧(とまこまい)工業港の発展で両市は競合関係にある。主産業である工業では、鉄鋼を主に、従来の造船業にかわる石油化学製品、機械、金属の生産が多い。1990年代には北部に香川工業用地を造成、先端技術産業や軽工業の誘致を図った。北部の丘陵地では酪農や野菜栽培もみられるが小規模である。絵鞆半島の南岸には漁港があり、コンブ、スケトウダラ、ウニなどの漁獲がある。半島部には好展望台をなす測量山や地球岬、マスイチ浜などの景勝地、絵鞆チャシ跡などがあり、対岸の陣屋町には1855年(安政2)設置された南部藩陣屋跡(国史跡)や市立民俗資料館があり、市の北東部に国立室蘭工業大学がある。また支笏洞爺(しこつとうや)国立公園の玄関口にもあたる。面積81.01平方キロメートル、人口8万2383(2020)。

[奈良部理]

『『新編室蘭市史』(1955・室蘭市)』


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