宝井馬琴(読み)タカライバキン

デジタル大辞泉 「宝井馬琴」の意味・読み・例文・類語

たからい‐ばきん〔たからゐ‐〕【宝井馬琴】

講談師
(5世)[1903~1985]愛知の生まれ。本名、大岩喜三郎。講談協会会長を務め、「寛永三馬術」「加賀騒動」などを得意とした。
(6世)[1935~2015]静岡の生まれ。本名、山梨務。講談協会会長を務め、武家物修羅場読みを得意とした。紫綬褒章受章。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宝井馬琴」の意味・わかりやすい解説

宝井馬琴
たからいばきん

講釈師。3代まで東流斎(とうりゅうさい)。4代の父が松浦侯から宝井の姓を許され、東流斎改め宝井琴凌(きんりょう)を名のったため、4代から宝井となる。

初代(1801―1857)本名吉田常吉。2代森川馬谷(ばこく)に師事。登場人物の音声を変えて読み、従来男性中心の講釈場に婦女子を集めた。門弟63人に及んだが、大坂に上ってさらに36人の門弟を育て、客死。

2代生没年、伝未詳。初代の長女の婿。琴調より2代目を襲ったが不遇。なお大阪に2代目を自称する者がいたが、代数には数えない。

3代生没年、伝未詳。力士伝を得意とした。

4代(1852―1928)本名小金井三次郎。岡田姓を初代小金井芦洲(ろしゅう)の遺言により改める。初代宝井琴凌の実子で小琴凌。17歳で父に別れ、初代西尾麟慶(りんけい)の門に入り、1880年(明治13)2代琴凌、1898年4代馬琴を襲名軍記物を得意とし、『三国志』『関東七人男』などで評判をとる。強記で『講談界昔話』を残す。大正期釈界の指導者。

5代(1903―1985)本名大岩喜三郎。愛知県生まれ。4代目の弟子。1933年(昭和8)5代目を襲名。明瞭(めいりょう)な読み口で、『寛永三馬術(かんえいさんばじゅつ)』などを得意とした。

6代(1935―2015)本名山梨務。静岡県出身。1959年(昭和34)先代の門に入り、琴調となる。1966年4代琴鶴(きんかく)を襲名、1987年6代目を襲名。修羅場(ひらば)の普及に尽力し、2代松林伯円の顕彰につとめ、伯円忌を中心となって営んだ。

[延広真治]

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改訂新版 世界大百科事典 「宝井馬琴」の意味・わかりやすい解説

宝井馬琴 (たからいばきん)

講談師。江戸後期より現在まで4代を数えるが,2代までは東流斎馬琴といった。(1)初代 生没年不詳。本名吉田常吉。2代森川馬谷の門に入り,戯作者曲亭馬琴を思慕してこの名を名乗った。単なる記録読みから,対話を中心とした世話講談の手法を確立し,講談の大衆化に成功した。(2)2代 初代門下の琴調が継いだ。生没年不詳。(3)3代(1852-1928・嘉永5-昭和3) 初代の孫で本名小金井三次郎。軍談を読んでは天下一品とうたわれた。(4)4代(1903-85・明治36-昭和60) 本名大岩喜三郎。豊かな声量と読み口の明快さ,さらに読み物の多岐にわたる点などで,現代話芸界の第一人者だった。
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