宗吾霊堂(読み)そうごれいどう

世界大百科事典(旧版)内の宗吾霊堂の言及

【佐倉惣五郎】より

…幕末には農民一揆の鼓吹のために利用され,明治になると自由民権運動の先駆者とされるなど,社会史的意義はきわめて大きい。惣五郎を葬ったという成田市の東勝寺(宗吾霊堂)には多数の参詣者がある。【児玉 幸多】
[伝承と作品化]
 惣五郎伝説は実録本《地蔵堂通夜物語》(宝暦以降に成立)もしくは講釈師石川一夢,初世一立斎文車らの《佐倉義民伝》によって,幕末期にかなり人口に膾炙(かいしや)した。…

【成田[市]】より

…空港へはJR成田線,京成電鉄のほか,新空港自動車道が通じる。佐倉惣五郎をまつった東勝寺宗吾霊堂や印旛沼の甚兵衛渡し,古墳を保存した房総風土記の丘などがある。【菊地 利夫】
[歴史]
 地名の初出は1399年(応永6)で,安養寺聖観音像の墨書銘に成田郷と見える。…

※「宗吾霊堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」