安曇野(市)(読み)あづみの

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安曇野(市)」の意味・わかりやすい解説

安曇野(市)
あづみの

長野県中西部にある市。2005年(平成17)東筑摩(ひがしちくま)郡明科町(あかしなまち)、南安曇(みなみあずみ)郡豊科町(とよしなまち)、穂高町(ほたかまち)、三郷村(みさとむら)、堀金村(ほりがねむら)が合併して市制施行、安曇野市となる。飛騨山脈(北アルプス)の主稜線の東側を南北に走る常念山脈(じょうねんさんみゃく)の東麓から、松本盆地北西部の複合扇状地である安曇野の一帯市域とする。市の東部を犀(さい)川が北に流れ、北東部で同川左岸に、南流する高瀬(たかせ)川、烏(からす)川を合わせて東流する穂高川、北流する万水(よろずい)川などが合流する。犀川の左岸をJR大糸線(北アルプス線)、国道147号(糸魚川街道)、右岸を篠ノ井(しののい)線、国道19号が走る。これらと交差しながら長野自動車道が通り、安曇野インターチェンジがある。明科地区に縄文時代の小谷城(こやじょう)遺跡、白鳳期の明科廃寺がある。穂高神社は、海神である綿津見命の子、穂高見命を祀る古社で、穂高見命の末裔とされる阿曇氏が奉祀した。中世には皇室領の矢原(やばら)荘、大穴(おおあな)荘などが成立。矢原荘の開発領主は大伴系細萱氏(ほそがやうじ)で、同氏は穂高神社の宮奉行を勤め、15世紀半ばから16世紀半ばには、同社改修造営の大檀那であった。穂高神社の社前を通っていた千国道(ちくにみち)は、現在の松本市域と新潟県糸魚川市方面とを結ぶ、古くからの要路で、戦国期になると、千国道の古道と重複しながら、穂高、細萱、成相(なりあい)を経て松本に通ずる道(糸魚川道)が整備された。松本と新町(しんまち)(長野市)を結ぶ犀川通船は、天保期に開かれ(明治30年代まで航行)、明科地区の押野崎(おしのざき)には松本藩の筏改番所が置かれた。

 扇状地水田は江戸時代に開削された矢原堰、拾ヶ堰(じっかぜき)などの用水路によって開田され、県内一の米作地となる。現在、豊科地区では北アルプスの豊富な湧水を利用したワサビ栽培、ニジマス養殖が行われ、市域の山麓一帯ではモモ、リンゴなどの果樹栽培が盛ん。下流で穂高川となる中房川(なかぶさがわ)の上流には、穂高温泉郷があり、烏川の流域では国営アルプスあづみの公園や県営烏川渓谷緑地などが整備されて、多くの観光客が訪れる。室町末期の松尾寺本堂(薬師堂)と江戸時代前期の曽根原家住宅は国指定重要文化財。穂高神社の御船祭は県指定無形民俗文化財。穂高温泉郷の一つ、中房温泉の膠状珪酸および珪華(こうじょうけいさんおよびけいか)は国指定天然記念物。面積331.78平方キロメートル、人口9万4222(2020)。

[編集部]


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