日本大百科全書(ニッポニカ) 「安曇川(旧町名)」の意味・わかりやすい解説
安曇川(旧町名)
あどがわ
滋賀県北西部、高島郡にあった旧町名(安曇川町(ちょう))。現在は高島市の中東部を占める地域で、琵琶(びわ)湖西岸に位置する。1954年(昭和29)に安曇町と広瀬、青柳(あおやぎ)、本庄(ほんじょう)の3村が合併して新たに安曇川町が成立、2005年(平成17)マキノ、今津(いまづ)、高島、新旭(しんあさひ)の4町および朽木(くつき)村と合併して高島市となった。旧町名は地域を流れる安曇川に由来。地域の大部分は安曇川のデルタである。1974年JR湖西線(こせいせん)の開通で交通条件はよくなった。ほかに国道161号が通じる。安曇は古代の海人(あま)の安曇(あづみ)族に由来するといわれ、その開発は古い。稲作農業が主で野菜栽培も行われているが、京扇子用の扇骨業、織物業などの農村工業が盛んであり、安曇川の簗場(やなば)にも象徴されるようにアユ(アユ苗)などの漁業や、雲平筆、高島硯(すずり)も有名。また近江(おうみ)聖人として知られる中江藤樹(なかえとうじゅ)の記念館や藤樹書院跡(国指定史跡)、中国式庭園の陽明園がある。
[高橋誠一]
『『安曇川町史』(1984・安曇川町)』