安南都護府(読み)アンナントゴフ

デジタル大辞泉 「安南都護府」の意味・読み・例文・類語

アンナン‐とごふ【安南都護府】

中国唐代、ベトナム北部中部統治するために置かれた機関

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精選版 日本国語大辞典 「安南都護府」の意味・読み・例文・類語

あんなん‐とごふ【安南都護府】

中国、唐の六都護府一つ。ベトナムの北部、中部の統治に当たった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「安南都護府」の意味・わかりやすい解説

安南都護府
あんなんとごふ

中国、唐朝が辺境異民族の統治のために置いた六都護府の一つ。現在の北部ベトナムから中部ベトナム北半の地に、679年から置かれた。直轄支配地である7州と、自治区である羈縻(きび)州に分かれ、8世紀末ごろからはハノイ府治が置かれた。9世紀、唐朝の衰退とともに、都護府政治は終わり、独立王国が生まれたが、アンナン呼称はその後も長く用いられた。

[桜井由躬雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安南都護府」の意味・わかりやすい解説

安南都護府
あんなんとごふ
An-nan du-hu-fu; An-nan tu-hu-fu

中国,唐代の6都護府の一つ。調露1 (679) 年宋平 (ハノイ) に治所がおかれた。その支配地域は広東広西南部,雲南南東部およびベトナム北部にわたり,周辺諸部族を治めた。至徳2 (757) 年から大暦1 (766) 年には鎮南都護府とも呼ばれた。9世紀後半に南詔侵略受けて衰亡し,広明1 (880) 年以降その機能を失った。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「安南都護府」の解説

安南都護府(あんなんとごふ)

唐の6都護府の一つ。622年ハノイに交州大総管府を置き,679年安南都護府と称する。唐末860年と863年南詔(なんしょう)攻撃で陥落し,のち一時,静海軍節度使として復活したが,五代にはベトナム人の独立とともに消滅した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「安南都護府」の解説

安南都護府
あんなんとごふ

唐の南辺統治機関で,6都護府の1つ
所在地は宋平(北ヴェトナムのハノイ)。唐初期は交州大総管府,679年安南都護府となった。たびたびジャワのマレー人やチャンパー人の侵入を受け,特に雲南地方の南詔 (なんしよう) には860年・863年の2度占領された。ヴェトナム地方へ中国文化を普及させたが,唐滅亡後はヴェトナム民族が自立した。

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世界大百科事典(旧版)内の安南都護府の言及

【アンナン】より

…現在はまったく用いられない。北部ベトナムは前1世紀以来,中国の植民地になっていたが,唐にいたってこの地に安南都護府が置かれた。安南の呼称はこの都護府の名に由来する。…

※「安南都護府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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