安井琢磨(読み)やすいたくま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安井琢磨」の意味・わかりやすい解説

安井琢磨
やすいたくま
(1909―1995)

理論経済学者。大阪市生まれ。1931年(昭和6)、東京帝国大学経済学部卒業後、師の河合栄治郎のもとで助手。早くから近代経済理論に関心を向け、33年以降、L・ワルラスに関する一連の先駆的論文を発表し、第二次世界大戦後の日本の近代経済学隆盛の理論的基礎を構築した。39年に同大同学部助教授となったが、44年、東北帝国大学法文学部教授に転じ、以後、大阪大学教授(1965~72)、国際基督(キリスト)教大学教授(1972~79)などを歴任。J・R・ヒックスの『価値と資本』(1939)出現後は、かなりの期間その研究に精力を傾け、戦後も安定条件論、景気変動論、経済成長論など、経済理論の最先端の領域で第一級の活躍を続けた。71年(昭和46)文化勲章受章。専門論文の多くは『安井琢磨著作集』に収められており、また研究経歴を語ったものに編著『近代経済学と私』がある。84年、訳書、C・E・ショースキー著『世紀末ウィーン』(1983・岩波書店)で日本翻訳文化賞受賞。

[早坂 忠]

『『安井琢磨著作集』全三巻(1970~71・創文社)』『『近代経済学と私』(1980・木鐸社)』

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百科事典マイペディア 「安井琢磨」の意味・わかりやすい解説

安井琢磨【やすいたくま】

理論経済学者。大阪市出身。東大河合栄治郎に学ぶ。1931年東大経済学部卒業後,同大学助手,助教授を経て1944年東北大教授,1965年阪大教授,1972年国際基督教大学教授を歴任。1933年以降発表されたワルラス一般均衡理論に関する諸研究は同時期のヒックスサミュエルソンらの研究に匹敵するものと評価され,日本の近代経済学発展に寄与した。その後も多数財市場における均衡の安定分析,景気変動の分析など,先端的領域をひらいた。著書に《均衡分析の基本問題》(1955年),《近代経済学の理論構造》(1976年)などがあり,著作集3巻(1970年―1971年)がある。1971年文化勲章受章。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安井琢磨」の意味・わかりやすい解説

安井琢磨
やすいたくま

[生]1909.4.1. 大阪
[没]1995.12.17. 西宮
理論経済学者。 1931年東京大学経済学部卒業後,師河合栄治郎のもとで助手をつとめ,早くから近代経済理論に関心を向け,33年以降 L.ワルラスを近代経済学発展の観点から見直す一連の先駆的研究を発表し,第2次世界大戦後の日本における一般均衡理論研究のための基礎を提供。 39年同大学助教授,44年東北大学法文学部教授。 J. R.ヒックスの『価値と資本』 Value and Capital (1939) 出現後はその研究 (共訳含む) に精力を傾注,戦後はあわせて安定条件論,景気変動論,経済理論の最先端の諸領域で第一級の論文を発表,一方では若手近代経済学者のすぐれた先導者の役割を果して,今日の斯学隆昌に導いた。 65年大阪大学に移り,翌年同大学社会経済研究所初代所長,定年退官後は国際基督教大学教授をつとめた。 71年経済学者として初めて文化勲章受章。多くの専門論文と訳書があり,主要論文は『安井琢磨著作集』 (3巻,70~71) に所収。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安井琢磨」の解説

安井琢磨 やすい-たくま

1909-1995 昭和-平成時代の経済学者。
明治42年4月1日生まれ。河合栄治郎の門下で,昭和19年東北帝大教授,40年阪大教授。のち国際基督(キリスト)教大教授。近代経済学の基礎理論を研究し,ワルラスの一般均衡理論を修正し,景気変動論,経済成長論などに先駆的な業績をあげた。ヒックス研究でも知られる。46年文化勲章。平成7年12月17日死去。86歳。大阪出身。東京帝大卒。著作に「均衡分析の基本問題」など。

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