安中宿(読み)あんなかしゆく

日本歴史地名大系 「安中宿」の解説

安中宿
あんなかしゆく

[現在地名]安中市安中三―四丁目

中山道の宿駅。江戸日本橋から一五番目、東の一四番板鼻いたはな宿、西の一六番松井田まついだ宿(現碓氷郡松井田町)の間にあり、伝馬てんま町とよぶ。上州七宿の一。南を碓氷うすい川、北を九十九つくも川が東流する台地上に位置する。古代当地一帯は碓氷郡野後のじり(和名抄)に含まれたと考えられ、東山道野後駅が置かれるなど古くから交通の要衝であった。中山道の伝馬制度は北条氏が板鼻、倉賀野くらがの(現高崎市)などに定めた伝馬掟が知られるが、箕輪みのわ(現群馬郡箕郷町)に入封した井伊氏の定めた安中宿中への年次不詳伝馬規定(須藤文書)と、野尻のじり伝馬衆中への年次不詳伝馬規定(同文書)がある。前者は天正一九年(一五九一)、後者は文禄三年(一五九四)と考えられる。慶長一九年(一六一四)井伊直勝が安中に入封、上野尻村・下野尻村・谷津やつ村のうちに中山道沿いに西から上野尻・谷津・伝馬・下野尻の町並を建てたという。伝馬町は北側が上野尻村、南側は下野尻村から割いて家を建て、安中宿として整備された(「安中市誌」ほか)。上野尻から下野尻まで町並が続いたためこれらも広義には安中とよばれる(安中志)。嘉永二年(一八四九)宿絵図(安中市教育委員会蔵)によると、宿の西端に上木戸、東端に下木戸があり、宿場内の下水は両木戸の外で碓氷川に排出された。また、天保一五年(一八四四)には杉並木三八七本があった(「安中宿続往還絵図」同委員会蔵)

慶長一九年の安中伝馬衆訴状(須藤文書)によれば、四、五年前に伝馬町の下にしん町ができたが、同町の萩原与五右衛門が松井田宿の妹婿が伝馬を勤めないのに駄賃をつけたとして宿の伝馬衆と問屋連署で町年寄に訴えている。この件について正保二年(一六四五)には、松井田宿十右衛門への着荷のうち問屋向き荷物は伝馬町へ、他はすべて与五右衛門のところへ運ぶこと、また松井田宿の藤左衛門・新右衛門への着荷のうち穀物も与五右衛門へおろすことに決められており(「かり荷物扱規定」同文書)、初期の伝馬の状況が知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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