百科事典マイペディア 「宇都宮徳馬」の意味・わかりやすい解説
宇都宮徳馬【うつのみやとくま】
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政治家。東京・渋谷に生まれる。父は陸軍大将宇都宮太郎。陸軍幼年学校卒業後、旧制水戸高等学校、京都帝国大学経済学部に転ず。京大では河上肇(はじめ)の影響を受け社会科学研究会のリーダーとなるが不敬罪で検束され退学。1930年(昭和5)治安維持法違反で投獄され、翌1931年保釈となる。満州事変後の株高騰で得た利益をもとに1938年ミノファーゲン製薬会社を設立。第二次世界大戦後、読売新聞論説委員を経て、1952年(昭和27)自由党から衆議院議員に当選、以来衆議院10選。日中、日ソ、日朝の国交回復に尽力、リベラリストとして党内異色の存在であった。1976年金大中(きんだいちゅう/キムデジュン)、ロッキード両事件の処理に憤激し議員を辞職、自由民主党からも離党した。1980年参議院当選。1992年(平成4)政界を引退。内外の軍拡傾向に抗議し国際軍縮議員連盟を組織する。宇都宮軍縮研究室から月刊誌『軍縮』を発行し、憲法擁護の論陣を張った。
[小田部雄次]
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
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