宇津保物語(読み)うつぼものがたり

精選版 日本国語大辞典 「宇津保物語」の意味・読み・例文・類語

うつぼものがたり【宇津保物語】

(「うつほものがたり」とも。「うつほ」は空洞の意で仲忠母子が杉の空洞にひそんでいたことにちなむ) 平安中期の物語。二〇巻。作者未詳。源順作とする説などがある。十世紀後半の天祿~長徳(九七〇‐九九九)頃の成立とされる。清原俊蔭、その娘、藤原仲忠、犬宮の四代にわたる琴の名人一家の繁栄と、源正頼の娘貴宮(あてみや)が仲忠ら多くの青年貴族の求婚をしりぞけ、東宮妃となり、やがて皇位継承争いが生じる過程を描く。日本最初の長篇物語で、幻想的、伝奇的な「竹取物語」から写実的な「源氏物語」に展開していく過渡期の作品。

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デジタル大辞泉 「宇津保物語」の意味・読み・例文・類語

うつほものがたり【宇津保物語】

《「うつぼものがたり」とも》平安中期の物語。20巻。作者未詳。源順みなもとのしたごうとする説もある。村上天皇ころから円融天皇のころに成立か。4代にわたるきんの名人一家の繁栄と、多くの青年貴族から求婚される貴宮あてみやが東宮妃となり、やがて皇位継承争いが生じることなどが描かれている。書名は、発端の「俊蔭としかげ」の巻に仲忠母子が木の空洞に住む話のあるのにちなむ。

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改訂新版 世界大百科事典 「宇津保物語」の意味・わかりやすい解説

宇津保物語 (うつほものがたり)

平安中期(10世紀末)の作り物語。作者は古来の源順(みなもとのしたごう)説が有力。〈うつほ〉には〈洞〉〈空穂〉をあてることがある。初巻に見える樹の空洞に基づくもの。

清原俊蔭は王族出の秀才で若年にして遣唐使一行に加わり渡唐の途上,波斯(はし)国に漂着,阿修羅に出会い秘曲と霊琴を授けられて帰国し,それを娘に伝授する。俊蔭の死後,家は零落,娘は藤原兼雅との間に設けた仲忠を伴って山中に入り,大樹の洞で雨露をしのぎ仲忠の孝養とそれに感じた猿の援助によって命をつなぐ。やがて兼雅と再会し,京へ戻る。そのころ左大臣源正頼の美しい娘あて宮は都人の憧れの的となり,仲忠のほか多くの人が求婚するが,結局東宮妃に迎えられる(第1部,〈俊蔭〉~〈沖つ白浪(田鶴の村鳥)〉)。東宮が即位すると,藤壺女御となったあて宮腹の皇子と兼雅女の梨壺女御腹の皇子との間に激しい立太子争いが起こるが,帝の意向によって藤壺の勝利に終わる。しかしこの間の藤壺の心労は並々ではなかった(第2部,〈国譲〉)。仲忠は祖父俊蔭の旧邸跡に新築した豪邸の楼上に籠って娘の犬宮に琴を伝授し,母の俊蔭女もそれに加わる。八月十五夜には嵯峨朱雀両院も行幸し,3人の霊琴合奏ににわかに霰が降り星が騒ぎ天地も揺れとどろいた。両院もいたく嘉賞された(第3部,〈楼の上〉)。

全体の首尾は音楽奇瑞譚でしめくくっているが,その間に求婚譚や立太子争いなどを配し,統一性に欠けることは否めない。その巻序も,有力諸伝本すべて巻三~巻七に〈忠こそ〉〈春日詣(梅の花笠)〉〈嵯峨院〉〈祭の使〉〈吹上(上)〉の順に並んでいるが,このままでは時間の逆行とか事件の因果関係の倒叙が頻出して難解のため,今日ではこれを〈嵯峨院〉〈忠こそ〉〈春日詣〉〈吹上(上)〉〈祭の使〉の順に並べて読むことが多い。しかしそれでもなお記事の重複など問題が多く残っていて,成立事情の複雑さが想像されるのである。その解決のために複数の制作注文主を想定したり,当初本文に付いていた絵がその後失われて絵詞のみが残ったことからくる特徴的な本文形態が指摘されることもある。また一方,その主因を作者の内部に求めて,最初は素朴な古風な求婚譚として〈藤原の君〉から書き始めたものの,さまざまの読者の注文と作者自身の意識の動揺とか発展に伴って,つぎには音楽奇瑞譚としての骨格に着想して〈俊蔭〉巻が書かれ,その間に求婚譚の展開の中から宮廷社会の風俗人情への関心が高じて,立太子争いをめぐるきわめて写実的な表現に足を踏み入れてしまう。しかし最後は再び本道に即して霊琴譚でめでたく終りを結ぶ--という道筋も想定されている。またこの間に古来の伝承をそのままの形で随所に取り込むこともあったらしく,古と新と2種類の文体混在が問題をさらに複雑化している。

 この作品を破綻だらけの失敗作と評することは容易だが,しかしそれまでの《竹取物語》その他短小のほとんどお伽話風の物語群と比較すれば,この作品が当時まさに破天荒な力作であったことも疑いの余地はない。散文的な外的世界への視野の拡大と浪漫的な美と芸術性への憧憬という二方向を極点にまで推し進めたところに,この作品の魅力と謎がある。しかし不幸にもその読者は中世近世を通じてきわめて少なく,伝本もその書写年代が近世初期以前にさかのぼるものは皆無の状態である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宇津保物語」の意味・わかりやすい解説

宇津保物語
うつほものがたり

平安時代中期の物語。作者は源順 (したごう) とする説が有力。 20巻。 970年代頃成立とされる。物語は,清原俊蔭,その娘,藤原仲忠,犬宮の4代にわたる霊琴にまつわる音楽霊験談と,源雅頼の娘の貴 (あて) 宮を主人公とする物語がからみ合って展開する。琴の物語が伝奇的であるのに対して,貴宮の物語はさまざまな求婚者の描写や「国譲」の巻の政争の記述などにおいて写実性が顕著。個々の登場人物や年紀に矛盾撞着する個所があり,また巻の順序がテキストによって定まらず,解決できない乱れがあるなど,完成した作品とはいえない面もある。これは別途に書かれた短編物語を集成縫合して長編物語とした結果とされる。しかし,鋭い現実批判を盛込んだ日本最初の長編物語として,『源氏物語』より高く評価しようとする人もある。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「宇津保物語」の解説

宇津保物語
うつほものがたり

平安時代の物語。20巻。作者・成立年未詳。鎌倉時代から源順(したごう)を作者とする説が多いが不明。天禄~長徳期(970~999)頃に書き継がれたらしいので,作者は複数とみる説もある。成立過程が複雑なため,初期に書かれた部分と後期の部分では方法も文体も異なり,主題も分裂ぎみである。琴の霊力を伝承する俊蔭(としかげ)一族の流離と栄華の物語を一応の軸として,貴宮(あてみや)をめぐる求婚や立后争いが描かれる。求婚者の多様な人物像および摂関政治最大の問題を描くことは,当時の貴族社会の現実の物語化でもあった。日本最初の長編物語であり,「源氏物語」などへの影響も多大。「日本古典文学大系」所収。

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百科事典マイペディア 「宇津保物語」の意味・わかりやすい解説

宇津保物語【うつほものがたり】

平安中期の作り物語。成立は10世紀後半と推定され,源順(みなもとのしたごう)作とする説もあるが明らかではない。4代にわたる琴(きん)の秘曲伝授を中心に貴宮(あてみや)をめぐる求婚や政争などを描き,架空物語の《竹取物語》と現実的な《源氏物語》の中間的位置にある物語として注目される。
→関連項目松浦宮物語

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旺文社日本史事典 三訂版 「宇津保物語」の解説

宇津保物語
うつほものがたり

平安中期の物語
10世紀後半の成立。20巻。作者は源順 (みなもとのしたごう) ,藤原為時など諸説あるが不詳。左大将の娘貴宮 (あてみや) をめぐる求婚物語。写実的・現実的作風の日本最初の長編物語で,のちの『源氏物語』の成立に大きな影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内の宇津保物語の言及

【舞人】より

…本来は舞楽(ぶがく),大和舞(やまとまい),東遊(あずまあそび)などの演舞者を指す。《宇津保物語》の〈俊蔭〉に,〈賀茂に詣で給ひけるを,舞人(まいびと),陪従(べいじゆう)例の作法なれば〉とあり,楽を奏する陪従と対に記す。とくに外来系の舞楽装束を唐(とう)装束というのに対し,東遊,大和舞など国風(くにぶり)の舞楽装束を舞人(まいにん)装束と称する場合があり,その演者をとくに舞人と呼ぶ。…

※「宇津保物語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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