宇原村(読み)うはらむら

日本歴史地名大系 「宇原村」の解説

宇原村
うはらむら

[現在地名]山崎町宇原

揖保いぼ川の中流左岸に位置し、北は川戸かわと村。江戸時代初期頃に南の下宇原村を分村したとみられる。「播磨国風土記」宍禾郡比治ひじ里の条に宇波良うはら村がみえ、葦原志許乎命が国を占拠した時、この地は小さく狭く室の戸のようだと言い、そのため「表戸うはと」と称されたとある。ウハラはウハトの転訛とされ、現在の宇原・下宇原を遺称地とする。伊和いわ神社(現一宮町)再建のための天文二年(一五三三)一二月二日の郡内勧進料足注文(伊和神社文書)に「参十参貫百四十文宇原より上、神戸より下」とみえる。

宇原村
うわらむら

[現在地名]洲本市宇原

桑間くわま山の南、北東流する洲本川支流樋戸野ひどの川中流域にある。北は桑間村、東は津名つな下物部しもものべ村・上物部村。三原みはら郡に属する。永正一五年(一五一八)三月二八日、淡路屋与三次郎光長より中嶋北殿に売渡された伊勢道者の在所のなかに、「うわら一ゑん」が含まれていた(「道者売券」来田文書)正保国絵図に宇原村とあり、高四五九石余。天保郷帳では高六六四石余。金屋組に属した。反別戸数取調書では反別七〇町余、高七六一石余、うち蔵入高三三石余・給知高七一二石余。

宇原村
うばらむら

[現在地名]須坂市仁礼にれい 宇原

梯子はしご山北北西稜線の先端仙仁城せにじよう山の北麓に立地。東は宇原川下流と小尾根で仁礼村、西は仙仁川・仙仁城山で仙仁村と境する。宇原川・仙仁川合流点の崖上にある。東部山麓に旧石器ポイント一を出土

慶長七年(一六〇二)川中島四郡検地打立之帳に「三五石九升八合、宇原村」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報