宇久氏(読み)うくうじ

改訂新版 世界大百科事典 「宇久氏」の意味・わかりやすい解説

宇久氏 (うくうじ)

肥前国松浦郡宇野御厨宇久島(現長崎県佐世保市,旧宇久町)を本拠とした中世豪族。その出自については諸説があるが,いずれも確証はない。始祖とされている宇久家盛は平忠盛の子で,1187年(文治3)に宇久島に下向土着したものとされている。家盛は1233年(天福1)に女子源氏に宇久島内屋敷田畠等を譲ったことが知られる。鎌倉時代正和年間(1312-17)に宇久披は鎮西探題使節に任命されており,御家人の地位を得ていたものと思われる。南北朝時代には松浦党の一揆契諾に署名しており,1413年(応永20)には宇久一族の一揆契諾を結び,惣的結合を図っている。宇久覚の時代に下五島方面にも勢力を伸ばし,1383年(弘和3・永徳3)には本拠を宇久島より福江島岐宿に移し,その子宇久勝は本拠を深江(現,長崎県福江市)辰の口城に移した。宇久純玄のとき,豊臣秀吉から所領を安堵され,文禄の役出兵に当たり,宇久姓から五島姓に改め,1万5000石の近世大名五島氏に発展した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の宇久氏の言及

【五島氏】より

…肥前国松浦郡五島(現,長崎県南松浦郡)を領有した1万2530石の近世大名。肥前国松浦郡宇久島(現,長崎県北松浦郡宇久町)を本拠とした宇久氏は,1383年(弘和3∥永徳3)宇久覚の代に福江島に移住し,その子勝は本拠を深江(現,長崎県福江市)に定めた。そののち五島を平定し,1587年(天正15)島津征伐のため九州に下向した豊臣秀吉に帰伏し,五島の支配地を安堵された。…

【福江藩】より

…五島藩ともいう。松浦党(まつらとう)の成員であった五島列島北端の宇久氏は,南端の福江島進出を契機として海上貿易権を掌中に収め,有力な在地領主を同族化することによって五島列島の統一に成功し,1587年(天正15)豊臣秀吉の九州征伐後,本領を安堵されて近世大名となった。石高は1万5530石。…

※「宇久氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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