孫中山(読み)そんちゅうざん

世界大百科事典(旧版)内の孫中山の言及

【孫文】より

…中国の革命家,政治家。中国国民党の創設者,指導者。中華民国の創始者として国父と称された。字は逸仙,号は中山(欧米ではしばしばSun Yat‐senと呼ぶ)。広東省香山県(現,中山県)翠亨村の貧しい農家に生まれ,12歳のとき出稼ぎで成功したハワイの長兄のもとに行き,教会学校で西欧の近代教育をうけた。16歳のとき帰国,香港で洗礼を受け,広州の博済医院の付属医学校で医学を学んだ。この学校で反満秘密結社三合会の首領鄭士良(1863‐1901)と知り合った。…

【中山陵】より

…中国,南京市の東方,紫金山の南側山腹にある孫文(号は中山)の陵。広さ約8万m2。約400段の石段を上ると祭堂があり,入口正面に〈民族・民権・民生〉の文字が刻まれ,堂内の中央に孫文の大理石の座像,奥の霊堂に霊柩がある。1929年に完成し,25年以来北京市西郊の碧雲寺にあった孫文の遺体は移葬された。周辺の明孝陵・霊谷寺などを含む縦横30kmの中山陵園は,緑の多い風致地区である。【藤井 昇三】…

※「孫中山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」