ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「学説彙纂」の意味・わかりやすい解説
学説彙纂
がくせついさん
Digesta; Pandectae
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…11世紀末ないし12世紀初頭,北イタリアのボローニャでローマ法大全の全体,なかでもその最も浩瀚かつ重要な部分である〈学説彙纂〉が学問的に再発見されることになった(いわゆる〈ローマ法(学)の復活〉)が,ここに成立したローマ法の研究・教育の学派が注釈学派(ボローニャ学派ともいう)である。彼らにとってローマ法大全は神意の発現たる法真理そのものの表示(〈書かれた理性〉)として権威的なテキストであり,その配列順に法文に分析的釈義(〈注釈glossae〉)を施していくことが中心課題となった。…
…帝室裁判所令(1495)は,これを神聖ローマ帝国の普通法として,補充的効力を付与した。これはその後ドイツ固有法と混合して,パンデクテン(〈学説彙纂〉)の現代的慣用となったが,帝国解体(1806)後も効力を保持し,19世紀パンデクテン法学によりいっそう学問的に精錬され,ドイツ近代私法の基礎を形づくった。普通法は法曹法の一種で,実務法曹や法学教授によって担われ,ドイツ民法典(1900)の施行まで,ラントの諸法典により明示的に適用を排除された場合を除き,全ドイツ私法として通用した。…
…ビザンティン帝国(東ローマ帝国)ユスティニアヌス1世(在位527‐565)が制定発布した〈法学提要〉〈学説彙纂〉〈勅法彙纂〉および〈新勅法〉に対する総称で,ユスティニアヌス法典とよばれローマの法律および法学説が集大成されている。ビザンティン帝国における法学の復活を背景とする法学教育および裁判実務の要請に対応し,同時にローマ帝国の栄光の再興というユスティニアヌス1世自身の政治的文化的企図から,まず528年,彼は高級官僚(トリボニアヌスを含む)および若干の法学者によって構成される10名の委員会に命じて勅法の集成を行わせ,翌年完成・発布された。…
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線状に延びる降水帯。積乱雲が次々と発生し、強雨をもたらす。規模は、幅20~50キロメートル、長さ50~300キロメートルに及ぶ。台風に伴って発達した積乱雲が螺旋らせん状に分布する、アウターバンドが線状...