学校教育法
がっこうきょういくほう
現行学校制度の根幹を定める法律。昭和22年法律第26号。全13章146条からなる。第1章総則に、各学校共通の事項として学校の設置、管理、経費の負担、授業料、校長・教員、学生・生徒等の懲戒、健康診断、学校の閉鎖命令などに関する諸規定、第2章義務教育、第3章幼稚園、第4章小学校、第5章中学校、第6章高等学校、第7章中等教育学校、第8章特別支援教育、第9章大学、第10章高等専門学校の順で、正規の各学校に関する規定が定められ、第11章専修学校、第12章雑則中に各種学校等の規定が設けられている。第13章には罰則。附則には、本法の施行により廃止されるべき法律、勅令と経過措置などが定められている。
1947年(昭和22)教育基本法とともに公布されたこの法律は、第二次世界大戦前の分岐型学校体系を、アメリカ教育使節団報告書の勧告に従い、いわゆる六三制の単線型学校体系に改めた。戦前の学校体系では、国民学校初等科の修了者は、12歳で、
(1)二~三年制の国民学校高等科を経て定時制の青年学校(男子には義務化されていた)で終わるコース
(2)中等学校(旧制の中学校、高等女学校、各種実業学校からなる)から専門学校(旧制)や高等学校(旧制)を経て大学に至るコース
とに振り分けられていた。(1)へのコースを余儀なくされた75%の青少年にとって、(2)は高嶺(たかね)の花であった。第二次世界大戦後の1947年、全日制3年の中学校が新設され、15歳までが普通義務教育の対象となったことは、男女差別の撤廃、勤労青少年のための高等学校・大学の定時制・通信制の発足、心身障害者の就学義務化などとともに、学校教育法が、教育の機会均等の原則の貫徹をいかに強く志向したかを物語る。戦前の公教育のもとでは設けられることのなかった、就学義務違反に対する罰則が設けられた意図もそこにあった。
対日講和条約などの発効(1952)後、新学校体系は、国力、国情に合致しないとの理由から幾度となく抜本的改正が試みられた。事実1949年(昭和24)の短期大学の恒久化、1961年の技能連携(定時制または通信制の生徒が当該都道府県委員会の指定する技能教育施設で学習した場合、高等学校の教科の一部の履修とみなす)制度と高等専門学校制度の発足、1975年の専修学校制度の成立などは、いずれも学校体系上の大きな修正を意味した。しかし、これらの改正では基本的性格はそのまま残ったとみてよく、それが抱える諸問題は、教育内容の充実と、生涯教育の制度化といった方向で解決が図られていくものと考えられた。
1998年(平成10)の改正で発足した中等教育学校制度は、これまでの単線型の六三制に、六六制の体系をも組み込んだ改革である。地方公共団体による中高一貫教育の選択的導入は、画一的受験体制下のゆがんだ中等教育の是正を期したもので、やがては学校制度全体の多様化・複線化をも企図している。子供や保護者の選択の幅を広げ、学校教育の活性化と「ゆとり」を保証するための改革とされている。しかし、改革に際し当時の文部省初等中等教育局長、教育助成局長が新設の公立六年制中等教育学校について
(1)「受験エリート校化」や「受験競争の低学齢化」はあってはならない
(2)入学者の決定にあたって学力試験は行わない
との通知を出していることは見落とせない。その背景には、六六制の導入そのものは戦後改革期にも提唱されながら、六年制中等学校のエリート校化への危惧(きぐ)の念から日の目をみるに至らなかった制度であったという事情がある。いまなぜ改革が推進されるのかを熟考し、今後監視する必要がある。
[木村力雄]
『内藤誉三郎著『学校教育法解説』(1947・ひかり出版社)』▽『天城勲著『学校教育法』(1958・日本評論新社)』▽『今村武俊・別府哲著『学校教育法解説 初等中等教育編』(1968・第一法規出版)』▽『山内太郎編『戦後日本の教育改革5 学校制度』(1972・東京大学出版会)』▽『鈴木勲編著『逐条 学校教育法』(1995・学陽書房)』
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学校教育法【がっこうきょういくほう】
戦後日本の学校教育制度に関する一般的事項を包括的に規定した法律(1947年)。旧憲法下では各種の学校令が勅令によっていたのを法律の形式に改めた。教育基本法にのっとり,6・3制の単線型学校体系(ただしその後の改正で高等専門学校を設置,短期大学を恒久化),義務教育の9ヵ年への延長,特殊教育の義務化などを規定した。学校教育法は現在までに30回以上細かく改正されてきたが,2007年に大きな改正があった。一つは小学校,中学校などについて,義務教育を行う学校という位置づけを明確にしたことであり,もう一つは盲学校,聾学校,養護学校を特別支援学校に一本化したことである。また大学の教員組織についても,従来の〈教授の職務を助ける〉とした〈助教授〉を改め〈准教授〉とし,〈教授に準じる資質や能力を持つ立場〉と位置づけるなど多くの見直しを行っている。2013年5月,自民党は第二次安倍内閣を組織した安倍総裁(首相)のもとで,自民党教育再生本部の〈平成の学制大改革部会〉という提言をまとめ,これを踏まえ,2013年10月安倍首相直属の教育再生実行会議が学校教育法の根幹というべき6・3・3制などの学制の見直し論議を開始した。安倍首相は憲法改正をはじめ,戦後連合国占領時代に基礎づけられた〈戦後レジーム〉からの脱却を掲げており,その一環の教育再生としている。しかし〈戦後レジームからの脱却〉とは第二次大戦敗戦以前の体制に戻り,アメリカと当時の連合国と改めて対峙することを意味するのか,その意味するものが曖昧なため,戦後日本の民主的教育システム土台を作ったアメリカからは,安倍首相の極右的イデオロギーが教育システムに盛り込まれるのではないかという疑いの声もあがっている。
→関連項目海技大学校|海上保安大学校|学位|各種学校|学部|学校|学校5日制|教科書検定制度|教頭|航空大学校|校則|校長|高等学校|社会教育法|障害児学級|障害児教育|小学校|専修学校|専門学校|大学(教育)|大学設置審議会|体罰|中学校|通信教育|普通教育|防衛医科大学校|養護学校|養護教諭|幼児教育|聾学校
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学校教育法
がっこうきょういくほう
昭和22年法律26号。現行学校制度の基本を規定した法律。第2次世界大戦後の教育改革において,6・3・3・4制の新学校体系が採用され,その基本規定として,教育基本法とともに公布され,これに基づいて戦後の新学制が成立した。法律は学校を定義し,監督庁と学校の設置者との関係,学校の設置者と学校との関係,学校の教員の種類とその資格,懲戒,授業料など各学校種別に共通な事項について規定する。その後の改正により,1962年には高等専門学校が,また 1976年には専修学校が誕生している。また第2章以下の各学校の章では,学校の目的,教育目標,修業年限,教科,教科用図書,就学義務(小学校,中学校),教員などについて定める。1999年には中高一貫教育校として中等教育学校が追加され,2001年にはボランティア活動体験の促進,大学への「飛び入学」制度の普遍化(数学,物理については 1998年から実施),2007年には盲学校・聾学校・養護学校を一本化した特別支援学校の創設,大学等の助教授に代わる准教授職の新設などの改正が盛り込まれた。
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知恵蔵
「学校教育法」の解説
学校教育法
幼稚園から大学までの学校教育に関する、基本的かつ総合的な法律。1947年3月31日に教育基本法と共に公布され、同年4月1日から施行された。戦前の複線型学校体系を6・3・3・4という単線型学校体系に転換するなどの新制度を規定、その後、高等専門学校(62年)・専修学校(75年)・中等教育学校(98年)の新設、体験的な学習活動の充実(2001年)などについて改正されている。具体的な内容は施行規則や施行令で示され、02年には学校段階ごとの設置基準(文部科学省令)で、学校の自己評価や情報の積極的な提供が規定された。さらに、07年6月27日に、教育基本法の改正に伴い、改正された。改正法では、義務教育についての条項が新設され、その目標として、規範意識、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画する態度を培うこと、保護者等への積極的な情報提供などが規定された。
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デジタル大辞泉
「学校教育法」の意味・読み・例文・類語
がっこうきょういく‐ほう〔ガクカウケウイクハフ〕【学校教育法】
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学校教育法
がっこうきょういくほう
旧学校令に代わって制定された,戦後の日本の新学制を定めた基本法
1947年3月31日公布。教育基本法に基づいて,現在の六・三・三・四制を確立。小学校,中学校,高等学校,大学,高等専門学校,盲・ろうあ教育,養護教育,幼稚園などを規定。義務教育を小・中学校の9か年としたこと,男女共学,単線型の学校体系などを特色としている。
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学校教育法
1947年(昭和22年)に公布されました。教育基本法[きょういくきほんほう]にもとづいて、学校制度の基本を定めた法律です。この法律で現在の小学校6年、中学校3年、高等学校3年、大学4年からなる新しい学制が定められました。
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がっこうきょういく‐ほう ガクカウケウイクハフ【学校教育法】
〘名〙 教育基本法の趣旨により、学校教育に関する諸事項を規定するために制定された法律。昭和二二年(一九四七)公布。
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がっこうきょういくほう【学校教育法】
第2次世界大戦後の日本の新しい学校制度の基本を定めた法律。第1次アメリカ教育使節団報告書の勧告や教育刷新委員会の建議にもとづいて作成され,1947年3月31日公布,同年4月1日施行された。特にこの法律は,国民の教育を受ける権利を明記した日本国憲法26条の趣旨を実現するため制定されたものであり,教育基本法とともに戦後教育改革立法の中心をなす。戦前の学校制度は教育立法の勅令主義により個別に学校令で定められていたのにたいし,この法律は教育立法の法律主義のもと,従来の学校令を廃止し,新しい学校制度を一つの法律にまとめた総合立法である。
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大学事典
「学校教育法」の解説
学校教育法
がっこうきょういくほう
1947年公布(昭和22年法律第26号)。日本国憲法や教育基本法の理念を受けて,日本の六・三・三・四制の学校制度の基準を定めた法律。第1条に定められるように,大学はこの法律で定められる学校であり,短期大学や大学院も含めた規定となっている。本法は制定以来しばしば改正がなされ,現在の章立てでは,大学は第9章に定められ(83~114条),大学の目的として「学術の中心として,広く知識を授けるとともに,深く専門の学芸を教授研究し,知的,道徳的及び応用的能力を展開させること」を掲げている(83条)。以下,教育研究組織や修業年限,入学資格,職員,教授会,さらには自己点検や認証評価機関等の規定が盛り込まれているが,とくに大学の職員については「大学には学長,教授,准教授,助教,助手及び事務職員を置かなければならない」と規定し,このうち必置職は学長,教授および事務職員となっている(92条)。また教授会については,「大学には,重要な事項を審議するため,教授会を置かなければならない」とし,その組織には准教授その他の職員を加えることができるとしている(93条)。
著者: 清水一彦
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世界大百科事典内の学校教育法の言及
【学校】より
… この教育基本法にもとづいて日本の学校は新たな出発をすることになる。この法でいう〈法律〉とは,同日に公布された学校教育法であり,この法は,教育の機会均等,普通教育の向上と男女差別撤廃,学制の単純化,学術文化の進展という見地から,学校制度を改革し,6・3・3・4制を発足させるために作成され,この公布により,国民学校令,中等学校令,大学令などは廃止された。そして4月から新学制による小学校(国民学校初等科を改称)と中学校が発足し,翌48年高等学校,ついで49年大学(キリスト教系・女子系の12の公私立大学はひと足先に48年),さらにこの年に大学に入学した者が卒業する53年に大学院がそれぞれ発足したのである。…
【学校令】より
…狭義には,1886年(明治19)3月諸種の学校を総合規定していた教育令が廃止され,同年3~4月に公布された帝国大学令,師範学校令,小学校令,中学校令,諸学校通則の5単行勅令をさす。広義には,それ以降1947年3月学校教育法により再び大学から幼稚園までの諸学校が総合規定されるまでの間に公布された,学校種別単行勅令の総称。日本において,近代学校発足当初は学制(1872‐79),教育令(1879‐86)と諸種の学校制度を単一の法令で規定していたが,1885年内閣制度の成立にともない初代文部大臣に就任した森有礼は,政治,経済,社会の今後の変動を予想して,学校制度の追加,修正のたびに大規模な法令改訂を要する単一法令方式に替えて,学校種類ごとに各別の単行法令方式を採用した。…
※「学校教育法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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