学会(読み)ガッカイ

デジタル大辞泉 「学会」の意味・読み・例文・類語

がっ‐かい〔ガククワイ〕【学会】

それぞれの学問分野で、学術研究の進展・連絡などを目的として、研究者を中心に運営される団体。また、その集会。「物理学会

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精選版 日本国語大辞典 「学会」の意味・読み・例文・類語

がっ‐かい ガククヮイ【学会】

〘名〙
① 学術研究の機関。アカデミー
輿地誌略(1826)五「千六百四十五年 正保二年 学師歇魯剌密納(ヘリュラミノ)の建る学会は、国王の究理学会とし」
② 互いに学習するための組織や会合。研修会。
※日本教育策(1874‐75頃)〈森有礼編〉教師講習会「本邦教師又た能く自ら相ひ結て学会を設け、以て教師の識聞を広め」
③ 学術研究の推進、学者相互の連絡などのために組織された、専門研究者の団体。または、その会合。
日本医学会論(1889)〈森鴎外〉三「日本医学会の会員は、始より彼の独逸の学会の会員の如き資格を有せず」

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改訂新版 世界大百科事典 「学会」の意味・わかりやすい解説

学会 (がっかい)

学者・研究者たちが互いの連絡,知識や情報の交換,研究成果の発表のために組織した団体の総称。この種の団体には協会という名称を用いるものもあるので,学協会と総称する場合もある。学問分野によって学会の性格が異なるのは当然であるが,個々の学会は,その設立の経緯,規模,組織形態,機能など千差万別である。たとえば,英語で学会を表すのにacademy,society,association,instituteなど多くの語が用いられることも,学会の多様性の反映とみることができる。しかし,一応の目安として学会が具備すべき基準・条件としては次の五つが考えられる。(1)学術のそれぞれの分野の進歩発展を図ることを目的として設立されたもので,営利を目的としない団体であること,(2)団体の主たる構成員が研究者であって,全国にまたがっていること,(3)事務局および定款・規約等を有していること,(4)年1回以上,会員の研究発展を主目的とする学術上の各種会合を定期的に開催していること,(5)原則として年1回以上,機関紙・報告書等学術的な定期刊行物を発行していること。

 日本には,これらの基準・条件に合致する学協会が1000以上ある(日本学術会議事務局編《全国学協会総覧》)。また,比較的大きな学会は,学会賞や各種メダルの授与といった褒賞制度をもっている。学者,科学者にとって,これらの褒賞を受けたり,学会の会長や理事に選出され,学会の運営にあたったりすることは,その人物の学問的業績が研究仲間から高く評価されている証拠ともなり,名誉なことと考えられている。

 一般に,既存の専門分野の中で,あるいはその周辺で,新しいパラダイム,すなわち画期的な概念や方法論が提起されると,そのパラダイムに即して研究を進めようとする集団が形成される。当初,この集団は少数で目だたないので,〈見えざる大学invisible college〉と呼ばれたりする。しかし,そのパラダイムが非常に有力なものであれば,見えざる大学もしだいに大きくなり,ついには〈目に見えるvisible〉存在となる。学会の設立のほか,研究所の設置,大学における新学科・コースの設置などがこれにあたる。したがって,学問上の革新が続くかぎり,新しい専門分野が誕生し,新しく学会が設立され,学会の数は増加することになる。その反面,使命を終えた専門分野や有効性をなくしたパラダイムに依拠する学会は,硬直化・陳腐化を余儀なくされ,場合によっては消滅する。

学会の起源をどこに求めるかについては,歴史家の間でさまざまの議論があるが,1603年,チェシFederico Cesi(1585-1630)をパトロンとしてローマに誕生したアカデミア・デイ・リンチェイAccademia dei Linceiを近代的な学会の先駆とみるのが普通である。このアカデミーにはガリレイも会員として名を連ねていたが,パトロンの死去にともなって30年ころ活動が途絶えてしまった。一方,フランスには,M.メルセンヌを中心としたメルセンヌ・アカデミーがあった。メルセンヌは学問と文化の中心地パリにあって,ヨーロッパ中の学者・科学者と幅広く交流していた。たとえばカトリック教会からの弾圧をおそれて,教会の力の及ばないオランダで暮らした期間の長かったデカルトは,もっぱらメルセンヌを介して学界との接触を保っていた。また32年《天文対話》出版のとがで異端審問にかけられ有罪となったガリレイが38年《新科学講話》をオランダで出版できたのは,メルセンヌの尽力によるところが大きい。このような活動を通じてメルセンヌはその周辺に科学者のサロンを形成し,これがメルセンヌ・アカデミーと呼ばれたのである。しかし,アカデミア・デイ・リンチェイも,メルセンヌ・アカデミーも,さらには,57年,メディチ家をパトロンとして発足したアカデミア・デル・チメントAccademia del Cimentoも,制度的・財政的な基盤が脆弱(ぜいじやく)で,中心的人物やパトロンと運命をともにせざるをえず,したがって活動期間も長くは続かず,いずれも短命に終わってしまった。これに対して,60年ロンドンに設立されたローヤル・ソサエティは今日も存続しており,最も権威ある学会の一つとなっている。実質的には近代的な学会のモデルとなったローヤル・ソサエティは次のような特色をもっていた。第1に,ソサエティは特定のパトロンをもたず,自然科学を愛好する人々の自発的な団体であった。たとえば,会員たちはソサエティの活動を維持するために会費を支払っていた。このため,パトロンの気まぐれやその社会的浮沈にソサエティの運命を左右されることはなかった。ちなみに〈ローヤル〉という名称は62年,時の国王チャールズ2世から,ソサエティの活動に対する勅許状(ローヤル・チャーター)が交付されたために付されたものであり,〈王立〉というより〈王認〉という意味合いが強い。第2に,ソサエティの書記H.オルデンブルク(1618ころ-77)の尽力によって,ソサエティは65年以来《哲学会報Philosophical Transactions》を刊行した。学会誌というコンパクトで迅速な通信手段を通じて,ソサエティはヨーロッパ中の学者・科学者のために〈学問の手形交換所〉としての役割を果たすことができたのである。このようなソサエティの組織形態・活動・機能は,前述した〈学会が具備すべき基準・条件〉をほぼ満たしており,ここにローヤル・ソサエティが近代的な学会のモデルとみなされる理由がある。イギリスにおけるローヤル・ソサエティの設立とその活発な活動は,ヨーロッパ各国の科学者たちを刺激した。その結果,フランスでは宰相コルベールの肝いりで66年,アカデミー・デ・シアンスが設立された。このアカデミーは国家機関であり,民間の私的団体であったローヤル・ソサエティとは組織原理を異にしていた。すなわち,厳選された数十人のアカデミー会員には俸給が与えられ,研究プロジェクトに対しては研究資金も授けられたが,それはアカデミーとその会員は科学研究を通じてフランスの栄光と国益に寄与するよう期待されていたからであった。アカデミー・デ・シアンス型の国立アカデミーは,その後,ベルリンライデンウプサラなどヨーロッパ各地に設立された。日本の場合は,日本学士院がこれに対応する組織である。

18世紀から19世紀にかけて,ローヤル・ソサエティ,アカデミー・デ・シアンスなど既存の学会は,しだいに権威主義的になり,形骸化する趣があった。そのため進取の精神に富んだ人々は新しい学会の設立へと動いた。その結果,イギリス各地では〈文芸哲学協会Literary and Philosophical Society〉が,またフランスの地方都市には〈学者協会Sociétés Savantes〉が設立された。なかでも産業革命の中心地マンチェスターの文芸哲学協会は,化学的原子論の提唱者J.ドルトン(1766-1844)をはじめとして,有力な科学者たちの活躍の場となった。これら地方学会の隆盛は,イギリスやフランスの幅広い社会層に学問・文化に対する強い関心が存在していたことを物語っている。したがって,これら地方学会に結集した人々の多くはアマチュアとして学問・文化にかかわっていたわけである。一方,19世紀を通じて,科学の制度化と専門職業化に伴って,科学・学問は専門分化し高度なものとなった。このため,専門家として研究に携わっている科学者たちを中心に,専門分野に即した専門学会が求められ,たとえばイギリスの場合は,地質学会(1807),天文学会(1820),化学会(1841)などがつぎつぎと誕生した。また,科学者たちは科学研究を推し進め,その意義を社会にアピールするための新しい学会もつくった。この種の学会の先駆となったのは,ドイツの生物学者オーケンLorenz Oken(1779-1851)が中心となって1822年に設立した〈ドイツ科学者・医学者協会Gesellschaft deutscher Naturforscher und Ärzte〉である。この協会の目的は,年に1度ドイツ中の科学者がある都市に集まって,それぞれの研究成果を交流することによって,硬直し沈滞した旧来のアカデミーや大学に刺激を与えよう,というものであった。これにならってイギリスでも〈イギリス科学振興協会British Association for the Advancement of Science〉が31年に設立された。フランスやアメリカにも同様の組織がつくられた。

明治維新を経て,日本が欧米の学術を受け入れた19世紀後半は,前項でみたように,学問・科学の専門分化が進み,専門学会が整備された時代であった。このことは,scienceの訳語として多くの〈科〉に分かれた学問,すなわち〈科学〉という語があてられた事情にも反映している。したがって,学術研究体制の整備は各専門分野ごとに進められたわけであり,学会についても同様であった。かくて,東京数学会社(1877。後に東京数学物理学会と改称),化学会(1878),東京生物学会(1878),工学会(1879),東京地学協会(1879),日本地震学会(1880)などが相次いで結成されたのであった。そして86年,いくつかの高等教育機関を統合して帝国大学が設立されるにおよんで,その卒業生を中心に各種学会が逐次設立され,整備されていった。かくて日本は欧米の学術を能率的に導入し摂取する体制をつくりあげることに成功し,20世紀に入ると,いくつかの分野で世界的な業績を挙げるまでになった。その反面,学者・科学者が欧米の学術を学ぶのに熱心なあまり,学界全体にわたって欧米崇拝の風潮が生じた。また,多くの学会で,学会運営が帝国大学をはじめ官学中心者にかたよったり,学閥が幅をきかすというような弊害もみられた。しかし,第2次大戦後の一連の政治・社会改革のなかで,学術体制刷新の動きが生じ,既存の学会の民主化が図られるとともに多くの新しい学会が設立された。また1949年には,諸学会を統括・調整し,内外に対する科学者の代表機関として日本学術会議が発足した。
アカデミー →科学
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「学会」の意味・わかりやすい解説

学会
がっかい

学術研究を目的とした、学者の組織や団体あるいは会合のことをいう。学会の役割は、研究者に研究の発表、情報・意見の交換などの場を提供し、その成果を機関雑誌に発表することである。この役割によって研究発表、討論の成果が迅速にしかも多くの人々に伝達されることになる。

 日本最初の学術団体としては、1873年(明治6)に森有礼(ありのり)らによって結成された明六社(めいろくしゃ)があげられる。そして、翌1874年に機関誌『明六雑誌』が創刊された。また、1875年松本良順(りょうじゅん)ら数十名によって今日でいう医学会と医師会とを混合したような団体、東京医学会社が結成された。同年、機関誌『医学雑誌』を創刊した。しかし、専門分野の学術研究のための団体という今日的意味での学会が登場したのは、1877年神田孝平(かんだたかひら)を初代社長とする東京数学会社(1884年に東京数学物理学会と改称。この学会が、後の日本数学会と日本物理学会の母体となった)の創立をもって嚆矢(こうし)とする。このことは、自然科学関係の学会のなかで数学部門の学会がもっとも早く開かれたことを告げるものであった。

 これらの学会に続き、専門学会が次々と創立された。ただし、法学協会と哲学会以外はすべて理科系の学会である。日本が世界に誇ることのできるものに1880年(明治13)創立の日本地震学会があり、これは世界でも最古の地震学会である。

 学会の創設とともに学会雑誌の誕生もまた学術の紹介普及のため重要な役割を果たした。これらの学会雑誌のなかで、英文の年報を出していたのは日本地震学会だけである。また、日本人(林鶴一(つるいち))が主宰し創刊した、世界的にも数の少ない国際的な数学論文の発表機関となった『東北数学雑誌』なども、すでに1911年(明治44)に現れている。1929年(昭和4)には、生物学関係でこれほど有名な世界的雑誌はわが国には他にほとんどないといわれた国際的な細胞学の雑誌『キトロギア』が藤井健次郎を中心に発行されている。

 各学会が、創立時から現在までにいかに拡大発展したかということは創立時と現在との会員数を比較すれば明らかである。同様に、10年ごと(一部5年ごと)にみた学会の創立数から第二次世界大戦前と戦後の増加数を比較してみると、戦後に多くの学会が創立されたことがわかる。しかも、戦後の1946年(昭和21)から1996年(平成8)までの50年間に集中している。日本学術会議事務局が1995年に実施した「学術研究団体調査」の調査結果によると、全国で1503の学術研究団体があった。その後、『学会名鑑2007~9年版』(2007年刊)によると、1767の学術研究団体数とある。1995年と2007年を比べると、12年間に264の学術研究団体が増えたことになる。

[西根和雄]

『湯浅光朝著『日本の科学技術100年史 上』(1980・中央公論社)』『矢島祐利・野村兼太郎編『明治文化史第5巻 学術』(1979・原書房)』『日本学術会議事務局編『全国学協会総覧』(1981・大蔵省印刷局)』『財団法人日本学術協力財団編『全国学術研究団体総覧』(1996・大蔵省印刷局)』『財団法人日本学術協力財団編・刊『学会名鑑2007~9年版』(2007)』

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