孔穎達(読み)くえいだつ(英語表記)Kǒng Yǐng dá

精選版 日本国語大辞典 「孔穎達」の意味・読み・例文・類語

く‐えいだつ【孔穎達】

中国、唐初の学者。字(あざな)仲達。諡(おくりな)は憲。「くようだつ」とも。隋末、明経に挙げられ、唐の太宗の時に国子祭酒となった。魏徴と共に「隋書」の編纂にあずかり、また、太宗の命を受けて「五経正義」を撰した。(五七四‐六四八

く‐ようだつ ‥ヤウダツ【孔穎達】

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デジタル大辞泉 「孔穎達」の意味・読み・例文・類語

く‐ようだつ〔‐ヤウダツ〕【孔穎達】

[574~648]中国、の学者。衡水こうすい河北省)の人。あざなは仲達。諸経・算暦に通じ、国子祭酒を経て、太子侍講となる。太宗の命で「五経正義」「隋書」を編纂へんさん。くえいたつ。こうえいだつ。

く‐えいたつ【孔穎達】

くようだつ(孔穎達)

こう‐えいだつ【孔穎達】

くようだつ(孔穎達)

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改訂新版 世界大百科事典 「孔穎達」の意味・わかりやすい解説

孔穎達 (くようだつ)
Kǒng Yǐng dá
生没年:574-648

中国,唐の儒学者。〈こうえいたつ〉〈くえいだつ〉ともいわれる。字は仲達,冀州衡水(河北省)の人。動乱の世に学問を修め,日に千余言を暗誦したという。大儒として聞こえた劉焯(りゆうしやく)の門を叩いたが,質疑して尊敬に値しないことを知り,引きとめるのを振りきって帰郷し,家にあって弟子に教授した。その学は南北両学派にまたがり,かねて算学暦法にも通じた。隋末に明経に挙げられ,唐の初めに,50余歳で国子博士となり,太宗の即位後に国子司業に進み,顔師古らと《隋史》《大唐儀礼》などを編纂し,638年(貞観12)国子祭酒に拝せられた。太宗の命をうけて多くの学者とともに,南北両学派の統一を目的として《五経正義》180巻を撰定した。従来,五経の解釈が多岐に分かれ章句が繁雑であったのが,これによって整理一定され,以後,科挙試験の標準とされ,今日まで経書解釈の基本文献とされる。死後に太宗の昭陵陪葬
執筆者:

孔穎達 (こうえいたつ)
Kǒng Yǐng dá

孔穎達(くようだつ)

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百科事典マイペディア 「孔穎達」の意味・わかりやすい解説

孔穎達【くようだつ】

中国,隋末唐初の学者。〈こうえいたつ〉〈くえいだつ〉とも読む。字は仲達,河北省衡水の人。幼少から聡明で,その学は南北両学派に及んだほか,算暦にも通じた。唐の太宗の命を受けて《五経正義》を撰して,中国古典解釈上大きな功績を残すとともに,顔師古らと《隋史》を編纂(へんさん)した。
→関連項目顔師古古注

孔穎達【くえいたつ】

孔穎達(くようだつ)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「孔穎達」の解説

孔穎達(こうえいたつ)
Kong Yingda

574~648

「くようだつ」と呼びならわす。唐初の学者。初め隋に仕え,のち唐の太宗に仕えて,国子祭酒となった。勅を奉じて『五経正義』を著し,また魏徴(ぎちょう)と『隋書』を編集した。

孔穎達(くようだつ)

孔穎達(こうえいたつ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「孔穎達」の意味・わかりやすい解説

孔穎達
こうえいたつ
Kong Ying-da

[生]建徳3(574)
[没]貞観22(648)
中国,唐初の学者。「くようだつ」ともいう。衡水 (河北省) の人。字は沖遠。諡は憲公。国子博士,国子監祭酒となり,『五経正義』などを編した。

孔穎達
くようだつ

孔穎達」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の孔穎達の言及

【孔穎達】より

…中国,唐の儒学者。〈こうえいたつ〉〈くえいだつ〉ともいわれる。字は仲達,冀州衡水(河北省)の人。動乱の世に学問を修め,日に千余言を暗誦したという。大儒として聞こえた劉焯(りゆうしやく)の門を叩いたが,質疑して尊敬に値しないことを知り,引きとめるのを振りきって帰郷し,家にあって弟子に教授した。その学は南北両学派にまたがり,かねて算学暦法にも通じた。隋末に明経に挙げられ,唐の初めに,50余歳で国子博士となり,太宗の即位後に国子司業に進み,顔師古らと《隋史》《大唐儀礼》などを編纂し,638年(貞観12)国子祭酒に拝せられた。…

【五経正義】より

…中国,唐の太宗の642年(貞観16),国子祭酒の孔穎達(くようだつ)を総裁として完成された五経の注釈書。選ばれた五経にたいする第一次の注釈として,《周易》は王弼(おうひつ)と韓康伯,《尚書》は孔安国,《毛詩》は毛公と鄭玄(じようげん),《礼記》は鄭玄,《春秋左氏伝》は杜預の注にもとづきつつ,それらの注にたいする第二次的注釈として,六朝時代に堆積したいわゆる義疏(ぎそ)(義疏学)のなかから妥当なものがとられた。…

【十三経注疏】より

…以来経書の研究解釈が盛んに行われ,ことに後漢から魏晋南北朝時代にかけて多くの注およびその注を詳しくした疏が作られ(注疏),経書解釈の多様化がもたらされた。唐による天下統一が実現すると,経書解釈の統合整理の必要が求められ,太宗はまず顔師古に命じて五経の定本を作らせ,つぎに孔穎達(くようだつ)に命じて経書の標準的解釈を作らせ,4次にわたる更定を経て大成した。これが《五経正義》である。…

※「孔穎達」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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