孔教会(読み)こうきょうかい

世界大百科事典(旧版)内の孔教会の言及

【孔教】より

…中国,清末から民国初にかけて,孔子を尊崇して国家的宗教にしようとする運動のなかで用いられたことば。はじめ,清末の康有為が光緒帝にたてまつった上奏文(1898年6月)のなかで,全国の淫祀を廃絶して孔子を教主とする孔教を尊び,制度として教部,教会,孔子廟を設け,あらゆる郷・市に孔教会を,さらに全国教会の長として祭酒老師を置くことなどを要請したが,彼の指導する変法運動の失敗とともに,孔教問題は一時鳴りをひそめた。しかし辛亥革命(1911)で共和政体が成立すると,1913年の憲法草案で孔子の道が国民教育の根本とされたことから孔教問題が再燃した。…

【康有為】より

…国家,私有制,家族,男女差,人種差などを廃棄した後に完全に自由平等な大同世界が到来することを説いたユートピア論である。辛亥革命(1911)の後,帰国すると,孔教会を組織して孔子祀典の運動を行い,また宣統帝復辟運動にも加わったが,いずれも失敗し,1927年青島(チンタオ)で病死した。【坂出 祥伸】。…

※「孔教会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」