日本大百科全書(ニッポニカ) 「女方」の意味・わかりやすい解説
女方
おんながた
歌舞伎(かぶき)、新派で女性に扮(ふん)することを専門にする俳優の役柄の称。「おやま」ともよぶ。一般に「女形」の文字を使うことが多いが、語源的には「女方」が正しい。元来歌舞伎は女優を主役にする踊りの芸能だった女歌舞伎として出発したが、1629年(寛永6)に禁止され、以後女性は舞台に立てなくなる。1652年(承応1)に若衆(わかしゅ)歌舞伎が禁止されてのち、若衆の象徴である前髪を剃(そ)り落とし、物真似(ものまね)狂言だけを演ずることを条件に再開が許された。野郎(やろう)歌舞伎である。この時代になり、命じられて「男方」と「女方」の俳優の名を書き出したことから、「女方」という称呼が生まれ、役柄としての確立をみた。女方は、女性の衣装をつけ、手拭(てぬぐい)や頭巾(ずきん)で頭を隠していたが、やがて紫帽子をつけるようになる。劇の内容の進歩に見合って延宝(えんぽう)年間(1673~81)には「かつら」が考案され、女方の芸はいよいよ真の女性の姿態、行動に近づくことを要求されるようになった。女方の祖は、村山左近(さこん)とも糸縷権三郎(いとよりごんざぶろう)とも、また右近源左衛門とも伝えるが、明らかではない。日常生活から女性の心で暮らすことによって女性美を追求し続け、女方芸の基礎を固めた元禄(げんろく)期(1688~1704)の初世芳沢(よしざわ)あやめの功績が大きい。
女方の称を「女性の役」という広義にとれば、実際には「若女方(わかおんながた)(「わかおやま」ともよぶ)」と「花車方(かしゃがた)」とに分かれる。若女方は傾城(けいせい)方、娘方、姫、世話女房、女武道などの役々を含む。花車方は老女方(ふけおやま)のことである。一座の女方俳優のうちもっとも地位の高い者を「立女方(たておやま)」とよぶ。女方の部屋は楽屋では中二階(実際は二階のこと)に設ける習慣だったため、女方のことを「中二階」とよぶことも行われた。幕末以降に一人一役柄の原則が崩れてのち、もっぱら女方だけを演ずる俳優をとくに「真女方(まおんながた)」とよぶことが生じた。男性が女性に扮して写実的な演技をするという本来不自然な性格から、さまざまに演技のくふうが積み重ねられ、世界にも独特な女方演技術が生み出されたのである。古くから著名な女方の名跡には芳沢あやめ、中村富十郎、瀬川菊之丞(きくのじょう)、岩井半四郎らがあり、近代になっては中村歌右衛門(うたえもん)、尾上(おのえ)梅幸らがある。
[服部幸雄]