奈良原喜左衛門(読み)ならはら・きざえもん

朝日日本歴史人物事典 「奈良原喜左衛門」の解説

奈良原喜左衛門

没年:慶応1.5.18(1865.6.11)
生年天保2.6.23(1831.7.31)
幕末薩摩(鹿児島)藩士。父は助左衛門。繁の兄。安政5(1858)年,藩主島津斉彬の命を受け一橋慶喜擁立工作を進め失敗,帰藩。同6年11月,薩摩藩尊攘派ともいうべき誠(精)忠組に参加。文久2(1862)年島津久光の率兵上洛に随従,有馬新七の挙兵計画の中止を図る。さらに随従して江戸へ,その帰路,生麦(横浜市鶴見区)に英人リチャードソンを切りつける(生麦事件)。翌3年7月薩英戦争に参軍,海江田信義と共に英艦奪取を計り失敗。のち京坂の地に活動し,京都二本松の藩邸病没

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奈良原喜左衛門」の解説

奈良原喜左衛門 ならはら-きざえもん

1831-1865 幕末の武士
天保(てんぽう)2年6月23日生まれ。奈良原繁の兄。薩摩(さつま)鹿児島藩士。薬丸自顕流剣法の達人。尊攘(そんじょう)派として誠忠組にはいる。文久2年(1862)武蔵(むさし)生麦(なまむぎ)(神奈川県)で江戸から京都にむかう途中の島津久光の行列の前を横ぎったイギリス人リチャードソンらを殺傷した(生麦事件)。慶応元年5月18日死去。35歳。名は清。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「奈良原喜左衛門」の解説

奈良原喜左衛門 (ならはらきざえもん)

生年月日:1831年6月23日
江戸時代末期の薩摩藩士
1865年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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