夫役(読み)ブヤク

デジタル大辞泉 「夫役」の意味・読み・例文・類語

ぶ‐やく【夫役/賦役】

《「ふやく」とも》労働で納める課役。律令制では広く人身課税をさし、調雑徭ぞうようなどを総称したが、中世にはしだいに守護役・陣夫・伝馬役などの労役に限定され、江戸時代には助郷役国役などがあった。ぶえき。

ぶ‐えき【夫役】

ぶやく(夫役)

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改訂新版 世界大百科事典 「夫役」の意味・わかりやすい解説

夫役 (ぶやく)

労働課役のことで,〈ふやく〉とも読み,〈賦役〉とも書く。

大化以前には氏上(うじのかみ)が氏人(うじびと)に調(財物)と役(労力)を出させた。律令制下では(よう),歳役(さいえき),雑徭(ぞうよう)などといわれ,人身に賦課された。律令政府は20~60歳までの男子を正丁(しようてい)とし,庸(10日間にわたる中央官衙(かんが)での無償労役で,布での代納が認められていた)を課し,国司の監督下に1年に60日間の公共事業に従事させることもあった。衛士(えじ),防人(さきもり)などの軍夫,1郷から2名が中央官衙に呼びよせられて労働に従事させられる仕丁しちよう),調などを諸国から中央に輸送する運脚(うんきやく)などもあった。〈軍事と造作〉は,律令制下の農民にとって重い負担であった。本貫地からの逃亡は,労働力収奪を拒否する律令農民の抵抗の一形態であった。

 11世紀から12世紀に,本格的に展開する荘園制社会における農民負担は,年貢と公事(くじ)であり,公事は雑公事(ぞうくじ)と夫役に区別されている。夫役は,領主や荘官の直営地である佃(つくだ)の耕作労働,築堤や池溝の整備,さらに道路の造作などの土木工事,年貢など貢納物の運搬労働,領主の邸宅の清掃労働などに大別することができる。夫役は名田(みようでん)段別に賦課されるのが通例であるが,荘別に幾人と定められることもあった。期間も長短さまざまであり,とくに京上夫(きようじようふ),長日人夫(ちようじつにんぷ)などと称された長期間にわたる夫役は,農民にとって耐えがたいものであった。荘園領主の課す夫役のほかに,在地領主が農業夫役を収奪することもあった。在地領主は支配下の農民に対し,〈要用に従う〉〈朝夕駆使〉と表現される無制限に近い労働力収奪を行った。それは,〈足手(あして)公事〉などと称されることもあった。

鎌倉幕府は農繁期における地頭の夫役収奪を極力制限する撫民の方策をとったが,在地領主による不定期・不定量の労働力収奪は,鎌倉・南北朝期には小経営を維持・発展させるための最大の障害となっていたから,農民たちは夫役の定量化と削減を要求して闘争を組織した。このため夫役はしだいに固定化し,米や銭貨によって納める夫米,夫銭による収奪方式(代銭納制)に切りかえられていった。室町・戦国時代になると,守護大名戦国大名は守護夫,陣夫(じんぷ)などと呼称される夫役をさかんに徴収した。地侍(じざむらい),土豪による支配下農民からの夫役収奪は,兵農分離の段階まで継続した。
執筆者:

近世の夫役は大きく変化していくが,17世紀中葉ごろまではほぼ戦国時代末と同じであった。豊臣政権以来,中央権力は百姓を農耕専一の民にすることを政策の基調にしたが,現実には夫役は軽減されず,社会的な矛盾の大きな原因になった。戦乱が終息すると陣夫役は減少し,また農耕的夫役に使われることもなかったが,新時代の建設期に特有の労働力徴発がいっそう大規模に行われるようになった。それまで人家がほとんどなかったような場所に城郭を中心とする都市が建設され,その事業に大量の夫役労働力が投入された。それに初期には,夫役徴発は検地と同様,身分を決定するのに等しい意味をもったので,百姓なみの課役に対して土豪的勢力が反発することもあった。1637年(寛永14)に起こった島原の乱の遠因にも,築城夫役による百姓の疲弊があった。また大名の公権にもとづく夫役賦課のほかに,初期にはほぼ全国的に地方知行(じかたちぎよう)を行う家臣(給人(きゆうにん))がおり,知行地百姓を使役することが行われた。それは公務に関する場合もあったが私的な労働強制であることも多く,百姓との間につねに緊張を生みだした。また上層農民が家父長制的な実力によって,あるいは村役人としての公認された特権によって村内の百姓を使役することも続いており,家族内にふくまれる下人的身分の下層民を使役することも広くみられた。

 このような状況は,近世国家がめざす小農民の自立,百姓数の増大という目標を阻むものであった。隷属農民をかかえる百姓は自分に課せられた夫役を代行させて免れたが,夫婦の働きが経営を支える単婚小家族農民(小農)の場合,男手を欠くことは致命的であった。そのために,近世初期には年貢の過重と相まって夫役の重さが小農民を危機に追いこみ,耕地を捨てて個別的に逃散ちようさん)する〈走(はしり)百姓〉が多数生まれた。このような矛盾を解決するために,多くの藩では走百姓を厳禁する一方で,給人の恣意的な百姓使役を制限した。幕藩領主は撫民を強調し,しだいに夫役を代納化(夫米(ぶまい),夫銀(ぶぎん),夫銭(ぶせん))していく。また農民の抵抗もあって夫役はしだいに定量化され,個々の領主の課すものはいくらか軽減された。しかし幕府が直轄する交通制度が整備されて交通量が増えるようになると,伝馬(てんま),人足の課役が拡大され,道路,河川の普請を行う国役も増した。また大規模な社参行列や朝鮮通信使の来日のさいは,広域にわたって夫役が徴発された。それらの大半は代金納だったが,人身の使役もあり,いずれも農民経営を圧迫した。総じて個別の大名の夫役が定量,軽減の方向をとったのにくらべて,幕府の公儀役の比重が相対的に重くなる傾向にあったが,どの領主にしても村高と家数を基準に課す夫役も廃止することはなかった。代納化されるさいに,それまで臨時だった夫役がかえって固定化されるということもあり,新規の負担が小役のかたちで生まれ,税種がふえるということさえあった。

 百姓だけではなく町人も公役(くやく)を負担したが,早くから代金納化されていた。職人も初期からその技術の性格に応じて夫役を徴発された。武士の役奉仕も外見は似ているが,それは安堵された知行高に応じて報いる軍役である。百姓の人夫役は,形は古代の庸に源をもち中世の公事(くじ)につながり,さらに中世の在地領主支配のもとで行われた農耕労役が転化したものであって,年貢と並ぶ封建農民の負担の一種であった。近世農村の成立とともに村落内の百姓使役特権は小農の抵抗によって制限されていき,譜代下人の奉公人化によって村落内の賦役も減り,領主の直接の人身徴発は軽減されはしたが,幕末まで百姓経営を苦しめるものであることは変わらなかった。夫役負担の問題が百姓一揆の要求項目にかかげられることもあった。陣夫役は戦乱がなかったこともあってほとんど表面化しなかったが,原理的には存続しており,幕末・維新期の内乱のなかで兵賦(へいふ)・人足役として現れた。
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百科事典マイペディア 「夫役」の意味・わかりやすい解説

夫役【ぶやく】

賦役とも書き,〈ふやく〉とも読む。律令(りつりょう)制下では(よう)・歳役(さいえき)・雑徭(ぞうよう)とも称され,人身に賦課された労働課役。荘園公領制下では年貢と並ぶ百姓負担の公事(くじ)の重要部分を占め,通例名田(みょうでん)段別ごとに賦課されたが,しだいに不定量・不定期化し,百姓は荘園領主・在地領主の二重の過酷な賦課を強いられた。しかしその後,百姓の抵抗のなかで固定化の傾向を示し,米や銭によって納める代納(だいのう)制に移行していったが,守護大名・戦国大名は領国経営のなかで守護夫役・陣夫役・水手(かこ)役などを盛んに徴発した。江戸時代には村高と家数を基準として百姓だけでなく町人にも賦課され(公役(くやく)という),職人もその技術に応じて徴発された。江戸初期には幕府・大名による城郭・城下建設,河川改修などを目的とする夫役労働が大規模に徴発され,地方知行(じかたちぎょう)を行う給人(きゅうにん)の知行地百姓への賦課もあり,年貢の過重と相まって百姓の疲弊をまねき,逃散(ちょうさん)する走百姓(はしりびゃくしょう)が多数生まれた。多くの藩では走百姓を厳禁する一方で,給人の恣意(しい)的な使役を制限,しだいに夫役を定量化し,代納化(夫米(ぶまい)・夫銀(ぶぎん)・夫銭(ぷせん))していった。夫役負担の軽減が百姓一揆の要求項目に掲げられることもあった。一方幕府による賦課(公儀役(こうぎやく))は国役(くにやく)のほか交通制度の整備に伴う伝馬役(てんまやく)・人足役が増大,それらの大半は代納であったが,人身の使役もあった。
→関連項目浦役水手下司雀部荘助郷本途物成役屋徭役和佐荘

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「夫役」の意味・わかりやすい解説

夫役
ぶやく

平安時代以降にみられる労働役の呼称。律令(りつりょう)制下では、庸(よう)(本来は年10日の労役であったが、代納物として布二丈六尺を納める)、雑徭(ぞうよう)(国司(こくし)の徴発する労役で、正丁(せいてい)60日)、兵士役(防人(さきもり)・衛士(えじ))などの労働役があったが、律令支配が後退するなかでこれらの労役の体系は崩壊する。それにかわって国衙(こくが)や荘園(しょうえん)領主が新たな労働役の徴収制度として成立させたのが夫役である。

 中世の税といえば、年貢(ねんぐ)・公事(くじ)・夫役があげられるが、夫役は公事の一形態とすべきもので、在家(ざいけ)とよばれる家を単位に賦課されることが多い。荘園領主や地頭(じとう)などは領民を駆使して、年貢以下の徴収物を津(港)へ運送した。また地頭などの在地領主は近夫(ちかふ)・長夫(ながふ)とよばれる夫役を課した。近夫は地頭などの本拠地で勤める労働役で、3日という例が多い。長夫は地頭などが大番役(おおばんやく)などの関東の公事で在京する場合に、領地の百姓を京都に呼び夫役を勤仕させるもので、近夫に比べて長期のものとなった。なお、地頭・御家人(ごけにん)の大番役・軍役なども広義では労働役の一形態といえるであろう。

 戦国時代に入ると、戦国大名は家臣に課した軍役のほかに、農民に対しては「夫丸(ふまる)」などと称して、陣夫や普請人夫などの種々の夫役を課した。一方職人に対しては、棟別銭(むねべつせん)・段(たん)銭・人夫の諸役を免除するかわりに国役(くにやく)として彼らを動員した。また、家臣もその知行地(ちぎょうち)の農民に対して諸夫役を課し、村落共同体もその成員にさまざまな役を賦課した。

 近世は、このような戦国時代以来の労働徴発体制のうえにたって、役の体系がもっとも整備された時代である。近世の役は、国役という形で個別の領主と領民の間で結ばれた主従関係を断ち切り、領主・領民関係を、それぞれを集団として成立せしめる過程で登場した。したがって近世の身分編成とは表裏一体の関係にあった。夫役に限ってその内容をみると、幕府が各藩に対して課した土木工事などの普請役と、藩が領民に課したものがある。そのほか、街道の宿場の伝馬(てんま)役を補うため設けられた助郷(すけごう)役など、さまざまな役があったが、これらの役はすべて公儀の名のもとに課され、中世以来の村落共同体が独自にもっていた役賦課の体制を再編する形で徴収された。このような役の体系は、幕藩体制の崩壊に伴って解体され、税として徴収されることはなくなった。しかし近代国家も、公共の土木工事や戦時徴用という形で民衆に無償の労働を強いたのである。

[飯沼賢司]

『永原慶二著『日本中世社会構造の研究』(1973・岩波書店)』『島田次郎著『日本中世の領主制と村落 下』(1986・吉川弘文館)』『歴史学研究会・日本史研究会編『講座 日本歴史 近世1』(1985・東京大学出版会)』

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普及版 字通 「夫役」の読み・字形・画数・意味

【夫役】ふえき

徴用などによる役務。唐・元〔鎮州を招討する制〕如(も)し車牛夫役び工匠のするときは、竝びに宜しく和(わこ)願せば、仍(な)ほ價錢を優給すべし。

字通「夫」の項目を見る

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「夫役」の解説

夫役
ぶやく

「ふやく・ぶえき」とも。賦役とも。中世~近世の人身的労役の総称。荘園公領制では,租の系譜をひく年貢に対し,調庸(ちょうよう)および雑徭(ぞうよう)の系譜をひく課役を公事(くじ)とよび,そのうち雑公事以外の,雑徭や歳役などの系譜をひく労役のことを夫役という。近世では人足役の別称として用いられた。中世の夫役には,荘園領主の在住する京に物品などを運び,雑用も勤めた京上夫,同じく公事物などを運んだ若菜夫・吉書夫などの運搬関係の労役があった。荘園領主のもとで使役されるものには,兵士役,宿直役,雑用一般に従事する仕丁などがあり,荘園現地では佃(つくだ)の耕作や杣(そま)役・炭焼夫・草刈夫などの労役があった。地頭からも京上夫などが課された。中世後期以降には,守護・国人や戦国大名,近世の大名・旗本などからも,軍陣で多様な雑用に従事する陣夫役や,軍夫,城郭の築造,河川・用水・道路の建設や修復などに駆り出された人夫役(人足役)など,多様な夫役が課された。夫役は人別に賦課されて労役奉仕させられるのが原則だが,中世においては労役忌避などで人別賦課が困難になると,田率や銭納でも課されるようになった。また近世では,人足数や石高を基準とする代銭納が広範にみられた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「夫役」の意味・わかりやすい解説

夫役
ぶやく

賦役とも書き,「ふやく」とも読む。人夫役の意。律令制のもとでは庸 (よう) ,歳役 (さいえき) など「えだち」と称された。荘園制では領主の (つくだ) の耕作その他の土木工事,年貢,貢納物の運搬などがあり,武家社会の大名のもとでも陣夫,運搬役,助郷役その他が課せられた。武士階級の軍役,警固役も広い意味での夫役といえる。江戸時代になると,幕府や大名が農民を夫役させることが少くなり,制限もされた。武士の離村によって夫役の代りに夫米や夫銭を出させ,それで必要な労働力を徴発した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「夫役」の解説

夫役
ぶやく

支配者が被支配者から徴収した労働課役
人夫役の意味で,「賦役」とも書く。律令制の歳役・雑徭 (ぞうよう) ,荘園制下における領主の佃 (つくだ) の耕作やその他の労役,武家社会における武士の軍役・警固役,戦国大名が農民に課した陣夫・詰夫,江戸時代の国役・助郷役など,これらはみな夫役といえるが,時代が下るにしたがって,しだいに物納・金納化した。

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農林水産関係用語集 「夫役」の解説

夫役

関係農民などに義務として課せられた労働。用水の開発や維持にも当てられた労働。

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世界大百科事典(旧版)内の夫役の言及

【宋】より

…しかし南宋になると,徴税や警備の役務は都保正,大保長らが担当するようになり,免税銭は総制銭に繰り入れられ付加税の一種になった。差役のほかに,官府の治水工事や官舎の修築,官物の輸送などに臨時に徴発される夫役,雑徭があって,戸等に関係なく割り当てられた。主戸の大部分は4等戸と5等戸とであって,所によっては全戸数の7割から9割以上を占めた。…

【家数人馬改帳】より

…家数改帳,家付帳,家付人付帳,棟別帳,人畜改帳などの名がある。検地帳が土地生産力を記録するのに対して,家数人馬改帳は村内の百姓竈(かまど)ごとに受持高,家族の男女別年齢・軒数・牛馬数・屋敷地を調査し,村落構成員を把握するばかりでなく,村ごとに男女別・年齢別の集計を出すことによって夫役負担能力のあるものを書き上げさせた。すなわち役負担可能な家(役家)と役夫の台帳である。…

【市】より

…幕末の例であるが武蔵国川越城下町では問屋場の久右衛門が問屋給分のほかに,毎年7月と12月の市日に,川越の市へ集まって店を出すものから〈つり銭〉と称する店賃を取り立てて問屋給分に加えていた。市を立てる町や村に対し,夫役や年貢が課されていた。1597年(慶長2)に設立された武蔵国高麗(こま)郡高麗町(埼玉県入間郡日高町)では,市役として,この町にある代官陣屋の諸用をつとめた。…

【人掃令】より

…各地に奉行人を派遣して督励し,他国からの移住者などを厳しくチェックし,正確に家数・人数を調査する旨の誓紙を徴収している。実際に行われた調査は,毛利氏の領国の場合,家ごとに男女別の人数を数え,男の場合は年少者や高齢者などを注記することによって,実際に夫役(ぶやく)徴発に耐えうる人数を明らかにしている。また桶屋,鍛冶屋などの職人や,すでに夫役として徴発され朝鮮に渡ることになっている者を記すなど,かなり実態に即した調査であることをうかがわせる。…

【百姓】より

…彼ら百姓身分の上層には在地領主や〈大名〉の田堵百姓がおり,その領主経営,名田経営の内部に,彼らを主人とし人格的に隷属して奉仕し駆使される下人(げにん),従者,所従(しよじゆう)など非自由民が存在したが,一般荘公民である百姓は,この下人らと身分的に区別される一種の自由民であった。
【中世】
 中世の荘園体制が確立すると,荘内田畠を分割して名田が編成され,坪付(つぼつけ)と名称を定めた各名田を単位として年貢公事(くじ),夫役(ぶやく)を賦課する収取体系ができあがり,荘民百姓がそれぞれの名田の名主(みようしゆ)に補任(ぶにん)され,名主百姓が荘民を代表する呼称となった。荘園本来の名田である〈本名(ほんみよう)〉の名主百姓のほかに,平百姓,脇百姓,小百姓,間人(もうと)などと呼ばれる中下層百姓がおり,本名以外の領主直属地である間田,一色田などを耕作した。…

【本百姓】より

…日本の近世期,領主権力の基礎として掌握された百姓。17世紀前半期には年貢とともに夫役(ぶやく)を負担した役負(やくおい)百姓をさし,1660~70年代(寛文・延宝期)を境にして高請地(たかうけち)を所持する高持百姓をさすようになる。初期の検地で高請地を名請けした高請農民は,なべて年貢(生産物地代)の負担者とされるが,その中には役人,役家などと呼ばれて夫役(労働地代)を負担する役負百姓と,その負担を免れた無役のものとが含まれていた。…

【村請】より

…それを受けた村役人は,所定の年貢を村内の家ごとに小割(こわり)し,それらを村としてまとめて領主に納めた。助郷(すけごう)人馬のような夫役(ぶやく)も同様な原則で徴収された。近世の村請体制は年貢,諸役の徴収において最も端的に表現されたが,それ以外のさまざまな面においても強く働いていた。…

【村入用】より

…村入用の内容は村入用帳などと呼ばれる帳簿に記されており,村によってさまざまであるが,大きく三つに分けられる。(1)領主夫役(ぶやく)の系譜をひく諸賦課(助郷(すけごう)役を含む)。(2)年貢納入関係の費用。…

【役家】より

…領主の徴発する夫役(ぶやく)を負担する家を〈公事家(くじや)〉〈役家〉などと呼んだ事例は地域によって戦国時代にもみられるが,全国的規模で〈公儀の役〉負担の家が,役家ないし役屋として制度化されたのは,いわゆる太閤検地実施以後とみられる。戦国期から近世初期のころには,農民を陣夫役,普請役等として徴用・動員することが多く,領主にとって夫役負担能力をあらかじめ確認しておくことは重要であった。…

【屋敷】より

…しかし文禄3年(1594)〈島津分国御検地斗代書(とだいがき)〉のように〈惣国やしき 壱石代〉(上の村の中畠,中の村の上畠に相当)と定めたものもあり,所によっては上畠より上に位付けされた事例などもある。近世初期においては,検地帳に登録された屋敷は年貢(生産物地代)を賦課されるだけでなく,夫役(ぶやく)(労働地代)の賦課基準でもあった。屋敷を名請けした百姓が役人,役家,役儀之家,公事屋(くじや)などと呼ばれて夫役負担者とされ,弱小農民は田畠だけを名請けして屋敷の登録をうけず,夫役の負担をまぬがれていた。…

※「夫役」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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