太閤蔵入地(読み)たいこうくらいりち

改訂新版 世界大百科事典 「太閤蔵入地」の意味・わかりやすい解説

太閤蔵入地 (たいこうくらいりち)

豊臣氏直轄領をいう。その全貌は〈慶長三年蔵納目録〉によって概観できる。この統計によれば,山城以下35ヵ国に設置された蔵入地と諸国金銀山の運上および諸役運上金銀と地子から構成されていたが,蔵入地の総額は20万7519石余で,この蔵入高は江戸幕府初政のそれにほぼ見合うものといわれる。次に鉱山の運上は金3397枚余,銀7万9415枚余,諸役運上は金1002枚,銀1万3950枚という膨大なものであった。蔵入地設定地域の分析によれば,摂津河内,大和,山城,近江,尾張美濃,伊勢,越前播磨若狭丹波紀伊淡路の蔵入高で全体の70%を占め,しかもこれら諸国は海道要衝を扼(やく)する国々で,豊臣氏が畿内近国を基盤として樹立された統一政権であることを如実に示しているとされる。これらの蔵入地は豊臣政権の中央集権権力を支える基盤として機能したが,それは一つには畿内蔵入地の様態に凝集して示され,二つには豊臣政権の特質に連なる〈唐入り〉(文禄・慶長の役)の軍事行動を支えた機能に集約される。そして畿内蔵入地の機能はいわば国家的な集中的経済体制形成への志向を持つものとして展開されたといわれ,1595年(文禄4)制度化された蔵米算用方式によれば,京,堺等4都の金銀相場が算用の規準とされた。蔵米の売買が全国市場の形成に作用したともいわれている。九州の蔵入地は〈唐入り〉の前と後では設定形態を異にし,さらに慶長以後は変質するといわれるが,兵站(へいたん)基盤として全面的に機能したのはもちろん,豊臣氏による公的貿易体制独占への傾向を持つ点も指摘されている。

 蔵入地を管理形態を規準に分類すると,子飼部将を代官とする城領城回り型,吏僚代官型,豪商代官型,服属大名代官型(預地型)となる。大名領内に吏僚代官型をとって設定された蔵入地は,豊臣氏の経済に対する定納制による安定的基盤であったほかに,集権的権力の槓杆(こうかん)として作用するという政治的機能も多大であった。なお金銀鉱山の直轄化は商品流通を重視するこの政権の経済的基礎として重要な作用をなしたであろうが,具体的には不明であり,諸役運上金銀の収納については,特定商人の積極的把握による経済的支配であろうという指摘があるにとどまっている。
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百科事典マイペディア 「太閤蔵入地」の意味・わかりやすい解説

太閤蔵入地【たいこうくらいりち】

豊臣(とよとみ)氏の直轄領のこと。当初は軍勢の兵糧米を確保する意図であったが,のちには財政基盤の安定や,大名への統制の必要から,経済・交通の要所や主要都市,鉱山,また大名領内などにも設定されるようになった。1598年当時の蔵納(くらおさめ)目録によれば,35ヵ国の蔵入地総高は約20万7519石(こく)余であり,諸国の金銀山の運上(うんじょう)が金3397枚余・銀7万9415枚余,諸役の運上は金1002枚余・銀1万3950枚余であった。蔵入地の分布は畿内(きない)近国や北部九州に集中しており,豊臣氏の政治・経済上の中央集権的政策を支えるとともに,また文禄・慶長の役(えき)の兵站(へいたん)基地あるいは海外交易の拠点を重視したという側面が指摘できる。

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世界大百科事典(旧版)内の太閤蔵入地の言及

【太閤検地】より

…石高制は,分業関係を内包した社会的総生産力を量的に把握するもので,この点,同じく高に結ぶといっても,軍役基準や年貢量を表示するにすぎない貫高制と大きく異なっている。 検地の施行とともに太閤蔵入地が設定された。最初は各地の出城の周辺部に置かれ,城を預かる武将の管理にゆだねられ,戦争の際の兵粮米(ひようろうまい)のために備蓄されていたが,のちに大名領国の内部にも設けられるようになった。…

※「太閤蔵入地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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