太常寺(読み)たいじょうじ

世界大百科事典(旧版)内の太常寺の言及

【教坊】より

…隋の煬帝(ようだい)のとき(610)長安に南北楽人300人を坊に集めたのが先鞭で,唐初の武徳年間(618‐626)まず内教坊が創設され雅楽を教習した。音楽を愛した玄宗の714年(開元2)になると内教坊のほかに左右教坊を長安と洛陽に各2ヵ所設置し,それまで管轄していた礼楽の役所太常寺から分離して宮廷直属とした。六朝時代より盛んになった西域,インド系の胡楽と中国俗楽,それに民間の演芸を教習し,雅楽をこととしなかったためである。…

【唐】より

… 中央官庁としては,中書省,門下省,尚書省の三省が中核をなし,三省のうち行政官庁たる尚書省は吏部以下の六部からなったが,いずれも文書行政の総元締めに当たり,実務を担当したのは秦・漢以来の系譜をひく九寺五監十六衛などの官庁であった。九寺とは国家の祭祀を担当する太常寺や外国の賓客の接待を担当する鴻臚(こうろ)寺などの九つで,寺とは役所の意味である。五監とは教育行政を担当する国子監などの五つをいい,十六衛とは近衛軍団のことであり,ほかに秘書省,殿中省,御史台もあった。…

※「太常寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」