太尉(読み)たいい(英語表記)Tài wèi

改訂新版 世界大百科事典 「太尉」の意味・わかりやすい解説

太尉 (たいい)
Tài wèi

中国の官名。秦・漢初は武官の最高のもの,尉の大なるものの意味であったが,漢の武帝以後は大司馬に変わり,後漢では三公の首におかれた。その後太尉と大司馬は並んで置かれ,北魏では大司馬と大将軍を二大と称し,その下に太尉・司徒司空の三公が置かれた。隋・唐の三公もこの制をついだが,実権はなく,宋では臣下の三公の首位皇子の任ぜられる検校官の第2位,北宋末以後は武階官の首位の官名となり,元以後は消滅した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「太尉」の解説

太尉(たいい)

大尉とも書く。前漢初期の最高武官。武官を尉といい,郡尉,県尉郡県の最高武官をいう。秦代は国尉といったが,前漢には国家の最高位の武官を太尉といった。太は大と同じ意味。丞相(じょうしょう)(行政),御史大夫(ぎょしたいふ)(監察)と並ぶ中央の高官周勃(しゅうぼつ),周亜夫(しゅうあふ)父子が,それぞれ呂氏(りょし)の乱呉楚(ごそ)七国の乱鎮定した太尉として知られる。前漢武帝以降は大司馬(だいしば)あるいは大司馬将軍と改められた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

普及版 字通 「太尉」の読み・字形・画数・意味

【太尉】たいい(ゐ)

秦官。周の司馬に当たる。〔礼記月令〕(孟夏の月)太尉に命じて俊を贊(いた)し、賢良(すす)め、長大を擧げ、を行ひ、祿を出だす。

字通「太」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太尉」の意味・わかりやすい解説

太尉
たいい
Tai-wei; T`ai-wei

(1) 中国古代の軍事長官。はこれを三公の一つとし,漢もその制を踏襲したが,常置の官ではなかった。前漢の武帝のとき,大司馬と改めたが,後漢ではまた太尉と称した。隋,唐以後も三公の一つとして設置されたが,実権はなくなった。 (2) 軍隊における尉官の最上位をいう。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「太尉」の解説

太尉
たいい

秦の始皇帝の中央政府に初めて置かれた,軍事・警察を統轄する最高官で,三公の1つ
前漢末期に一時大司馬といわれたが,隋・唐まで及んだ。宋以後,単に名誉称号となり,明代に廃止された。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の太尉の言及

【戦争】より

…それは単なる戦術家をこえて,より広い視野から駆引きのできる政治家的資質を要求する。 戦国時代に芽生えた官僚制が秦・漢時代に最初の完成形態に達すると,漢の高祖が,戦場を馳駆(ちく)して百戦百勝の戦果をあげた韓信よりも,後方にいて物資の調達輸送を円滑に行い,後顧の憂いなからしめた蕭何(しようか)を帝国創建の第一の功臣と評価したような方向に進み,国軍総司令としての司馬または太尉は,最高の文官である丞相または司徒の下位に順序づけられる。この傾向は武帝による儒教の国教化によっていっそう明確となり,関羽,張飛のような武将が活躍した次の六朝400年の分裂時代にも,文官官僚層はついに武士階級の形成を許さず,文官優位の方向は,次の科挙制の時代に入って進士の重視が定着した結果,さらに決定的となった。…

※「太尉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android