天野 貞祐(読み)アマノ テイユウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「天野 貞祐」の解説

天野 貞祐
アマノ テイユウ


専攻分野
カント哲学

肩書
元・文相,京都大学名誉教授,独協学園園長

生年月日
明治17年9月30日

出生地
神奈川県津久井郡鳥屋村

学歴
京都帝国大学文科大学哲学科〔明治45年〕卒

学位
文学博士〔昭和6年〕

経歴
大正3年七高に赴任し、8年学習院教授に就任。12〜13年にかけてドイツに留学し、15年京都帝大助教授に就任、昭和6年教授となる。19年退官。その間カント「純粋理性批判」の翻訳などをし、12年「道理の感覚」を刊行。戦後21〜23年一高校長をつとめ、一高・東大合併の決議の際に辞職。23年京大名誉教授。日本育英会会長を経て、25年第3次吉田改造内閣の文部大臣に就任。28年母校独協学園校長となり、39年独協大学を創立して初代学長となる。この間、教育刷新委員会委員、中央教育審議会会長、自由学園理事長、国立教育会館初代館長などをつとめ、48年日本学生野球協会会長として野球殿堂入りも果たす。36年文化功労者となり、46年NHK放送文化賞を受賞した。著書専門のカント研究書のほか、「学生に与うる書」「若き女性のために」「如何に生くべきか」などの啓蒙書も多く、「天野貞祐全集」(全9巻・栗田出版会)がある。

受賞
文化功労者〔昭和36年〕 NHK放送文化賞〔昭和46年〕 勲一等旭日大綬章〔昭和48年〕

没年月日
昭和55年3月6日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「天野 貞祐」の解説

天野 貞祐
アマノ テイユウ

大正・昭和期の哲学者,教育家 元・文相;京都大学名誉教授;独協学園園長。



生年
明治17(1884)年9月30日

没年
昭和55(1980)年3月6日

出生地
神奈川県津久井郡鳥屋村

学歴〔年〕
京都帝国大学文科大学哲学科〔明治45年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和6年〕

主な受賞名〔年〕
文化功労者〔昭和36年〕,NHK放送文化賞〔昭和46年〕,勲一等旭日大綬章〔昭和48年〕

経歴
大正3年七高に赴任し、8年学習院教授に就任。12〜13年にかけてドイツに留学し、15年京都帝大助教授に就任、昭和6年教授となる。19年退官。その間カント「純粋理性批判」の翻訳などをし、12年「道理の感覚」を刊行。戦後21〜23年一高校長をつとめ、一高・東大合併の決議の際に辞職。23年京大名誉教授。日本育英会会長を経て、25年第3次吉田改造内閣の文部大臣に就任。28年母校独協学園校長となり、39年独協大学を創立して初代学長となる。この間、教育刷新委員会委員、中央教育審議会会長、自由学園理事長、国立教育会館初代館長などをつとめ、48年日本学生野球協会会長として野球殿堂入りも果たす。36年文化功労者となり、46年NHK放送文化賞を受賞した。著書に専門のカント研究書のほか、「学生に与うる書」「若き女性のために」「如何に生くべきか」などの啓蒙書も多く、「天野貞祐全集」(全9巻・栗田出版会)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「天野 貞祐」の解説

天野 貞祐 (あまの ていゆう)

生年月日:1884年9月30日
昭和時代の哲学者;教育家
1980年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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