天満村(読み)てんまむら

日本歴史地名大系 「天満村」の解説

天満村
てんまむら

[現在地名]姫路市大津区天満おおつくてんま大津区北天満町おおつくきたてんまちよう大津区天神町おおつくてんじんまち一―二丁目・大津区恵美酒町おおつくえびすまち一―二丁目・大津区大津町おおつくおおつちよう一―三丁目

西土井にしどい村の南に位置し、揖東いつとう郡に属する。村のほぼ中央を姫路城下室津むろつ(現御津町)を結ぶ道が東西に通り、東境の汐入しおいり川は揖東・飾西しきさい両郡の郡境をなした。瀬戸内海の浅瀬が干拓され、村域が南へ拡大した。中世は福井ふくい庄に含まれ、同庄の南端に位置した。永仁七年(一二九九)三月日の福井庄年貢注進状(輯古帖)に天満とみえ、当地の二ヵ所の樋守(源大夫と四郎二郎)の費用として各四斗が下されている。長享元年(一四八七)と推定される福井庄村名注文(吉川家文書)に福井庄二八ヵ村の一として天満村がみえる。中世末から近世初頭にかけて北方にあった海岸砂堆上の集落を、南方の砂堆字洲崎すざきに移し近世集落が形成された。

天満村
てんまむら

[現在地名]土居町天満

宇摩郡西北端の現新居浜にいはま市境に位置する。東は蕪崎かぶらさき村・土居村に、南は土居村・北野きたの村に、西は新居郡阿島あしま(現新居浜市)に接し、北はひうち灘に面する。

「南海通記」の文明一一年(一四七九)に「予州宇摩郡河江新居郡天満浦」とあるのが地名の初見である。新居郡とあるのは誤記とも思える。地名の由来は天保一三年(一八四二)の「西条誌」に「巍たる菅公祠あればなり」とある(「愛媛面影」も同じ)

曾根ガーデンのある山から弥生時代の平形石剣が出土し、仏崎ほとけざき大池おおいけ山の古墳からは須恵器・箱式石棺・刀・金環などが発見されている。

和名抄」にみえる宇摩郡近井ちかい郷に属したとされる。戦国時代には、東予への侵攻の上陸地となった。享保六年(一七二一)の伊予国宇摩郡天満村明細帳(長野家文書)に、天正一五年(一五八七)「福島左衛門大夫様御検地之由当時名寄帳ヲ以支配仕候」とあり、慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇摩郡の項に「天満村 日損所、松林有」とある。

天満村
てんまんむら

[現在地名]津川町三郷みさと 天満

常浪とこなみ川右岸に位置し、南東は村、北西は対岸の平堀ひらぼり村。村名は「新編会津風土記」によれば村東の天満宮の古社にちなむという。集落北に古天神こてんじんという地名がある。文禄三年(一五九四)七月の蒲生氏高目録帳(内閣文庫蔵)に「天満 平堀 四百四十六石七斗八升」とある。元和六年(一六二〇)の漆木役は一千五七七本(津川旧記)

天満村
てんまむら

[現在地名]那智勝浦町天満

那智湾に東面し、北ははまみや村、南東は勝浦村。「続風土記」は「湯川村の子丑の方二十五町余にあり、駿田するだ峠を村堺とす、此山峰巌石硝立して屏風を立てたるか如し(中略)村居は一筋の町をなし商戸もありて田家の形にあらす、天満の名は産土神より起れり」と記す。文明八年(一四七六)一二月四日付の旦那売券(米良文書)に「天満之番匠屋相伝北山道者」とみえる。天満は室町時代末までは陸海交通の要衝で、「那智の天満か備後の鞆か」の諺言があるように良港であったという。

天満村
てんまんむら

[現在地名]会津若松市神指町中四合こうざしまちなかしごう

阿賀川東岸にあり、東を応湖おうご川が流れ、西は小見おみ村、北は高瀬たかせ村、北東は東城戸ひがしきど村。もと天満宮があったための村名という。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では門田もんでん郡に村名があり、高一八九石余。高久組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では高二四〇石余。化政期の家数二三で、特産に晒木綿があり、俗に天満晒という(新編会津風土記)。明治四年(一八七一)の家数一七・人数一〇二(人員録)

天満村
てんまむら

[現在地名]吉備町天満

有田川の南岸下津野しもつの村の西、雲雀ひばり山東方の平野部に位置する。地名は天満天神社(現藤並神社)が鎮座することによる。慶長検地高目録によれば村高七三八石余、小物成一石八斗七升三合。江戸時代後期の家数四四、人数一八四(続風土記)。藤並組に所属。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の天満村の言及

【堂島】より

…地名の由来については,(1)四天王寺を玉造の岸に創建したとき,風波によって御堂の用材がこの地に流れついたため,(2)あらかじめ堂の用材を置いたところ,(3)流水が南北に分かれて,その中にあるため胴島といい,転じて堂島となったという説のほか,(4)二つの川(革)にはさまれた地であるため,鼓の筒にたとえて筒島(どうじま)といい,それが転化したものとも伝える。はじめ天満村と呼び,大坂三郷のうち北組と天満組の加郷であったが,人家が増加するにしたがい,一部に堂島船大工町など5ヵ町(古町)が形成されて,のち天満組に属した。1686年(貞享3)河村瑞賢の曾根崎川・堂島川改修のさい,新地5ヵ所(家数370軒)が加わって,88年(元禄1)町割りが実施され10ヵ町が増加,合わせて15ヵ町となる。…

※「天満村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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