天明釜(読み)てんみょうがま

精選版 日本国語大辞典 「天明釜」の意味・読み・例文・類語

てんみょう‐がま テンミャウ‥【天明釜・天命釜・天猫メウ釜】

〘名〙 下野国安蘇郡天明(栃木県佐野市天明町)から産出した鉄製茶の湯の釜。地紋のないものが多く地肌に種々の工夫がこらしてある。正長一四二八‐二九)から天文一五三二‐五五)の頃までのものを古天明、天文から慶長一五九六‐一六一五)の頃までのものを後天明といい、茶人に珍重される。てんみょう。〔譬喩尽(1786)〕

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デジタル大辞泉 「天明釜」の意味・読み・例文・類語

てんみょう‐がま〔テンミヤウ‐〕【天明釜】

室町時代から下野しもつけ国佐野郡天明(栃木県佐野市)で製作された鉄製の茶釜総称。地肌に工夫をこらし、地文のないものが多い。蘆屋釜あしやがまとともに茶人に珍重される。

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改訂新版 世界大百科事典 「天明釜」の意味・わかりやすい解説

天明釜 (てんみょうがま)

芦屋釜と並び称される関東の代表的茶の湯釜で,下野国(栃木県)佐野天明の地で鋳造されたものの総称。天命釜とも書く。地名の天命が天明に改まったのは1633年(寛永10)彦根領となって以来という。相模小田原(一説に栃木県大田原)にも天明釜の分派があり,小田原天猫,猫天明などと呼ばれている。桃山時代以前のものを特に古天明と呼ぶ。伝承では,天慶の乱(939)のころ藤原秀郷が河内国丹南から召した鋳物師が金屋寺岡の地で軍器を鋳造していたが,1081年(永保1)のころ佐野に移入した鋳物師是閑が湯釜を鋳たのが天明釜のはじめという。天明釜の特色は,地紋のあるものは少なく無地釜が多いことで,そのため肌作りには挽肌(ひきはだ),弾肌(はじきはだ),荒肌など工夫をこらしており,特に弾肌は泥土を手で弾きつけて肌を作るもので天明釜独特のものである。紀年銘最古の作は文和元年(1352)極楽寺銘の尾垂釜である。
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百科事典マイペディア 「天明釜」の意味・わかりやすい解説

天明釜【てんみょうがま】

下野(しもつけ)国(栃木県)安蘇郡天明で作られた茶釜の総称。天命釜,天猫釜とも記す。古くから日常用の鋳物釜を製作していたらしく,天暦年間(947年−957年)に鋳物師が河内国から移住したのに始まるという説もある。室町時代には西の芦屋釜と並び称された。桃山時代以前のものを古天明という。紀年銘のある釜のうち最古のものは1352年の極楽寺銘尾垂釜。無文様で,肌(はだ)に工夫をこらしたものが多い。
→関連項目京釜佐野[市]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天明釜」の意味・わかりやすい解説

天明釜
てんみょうがま

栃木県佐野市天明町で生産された茶の湯釜の総称。天命,天猫とも書く。この地方の鋳物生産は9世紀末に始ったと伝えられるが,室町時代の 15世紀中頃から茶の湯釜の生産が最も盛んとなり,九州の芦屋釜と並び称された。釜の地肌に特色があり,文様の鋳出されたものはほとんどない。形態は異形のものが多く,芦屋釜に比べて野趣に富む。

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世界大百科事典(旧版)内の天明釜の言及

【釜】より

…真形釜が多く,古いものは羽釜の形式をとっている。天明釜は平安時代からの鋳物製作を継承した関東を代表する釜で,室町時代には盛んに京都に運ばれ,珍重されたと考えられる。無地釜が多く,早くから羽を持たない釜が作られた。…

【金属工芸】より

…一方,茶の湯の流行とともに,茶の湯釜の鋳造も盛んとなった()。福岡県遠賀川河口の芦屋で作られた芦屋釜と,栃木県佐野天明(てんみよう)で作られた天明釜はとくに名高い。芦屋釜はしっとりした鉄の地肌と風雅な鋳出文様に特色があり,天明釜は荒々しい地肌と形姿のおもしろさに特色がある。…

※「天明釜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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