20世紀日本人名事典 「天中軒 雲月(1代目)」の解説
天中軒 雲月(1代目)
テンチュウケン ウンゲツ
明治〜昭和期の浪曲師
- 生年
- 明治28(1895)年3月
- 没年
- 昭和20(1945)年4月6日
- 出生地
- 佐賀県唐津市
- 本名
- 原田 定治
- 経歴
- 10歳で浪曲の道に入り、12歳のとき早川勘之助の養子となる。芸名は九州出身の大浪曲師、桃中軒雲右衛門からとった。養父の薫陶のもとに雲月節をつくり出し、天才少年浪曲師として雲右衛門の没後は九州全土に名前をとどろかせた。明治44年に初めて上京すると、両国国技館で尾上菊五郎らと共演する機会にも恵まれ、短時日のうちに関東の浪曲愛好家たちをも魅了。やがて浪曲界四天王の一人とまで称され、大正期における浪曲の黄金時代をつくりあげた。「赤穂義士伝」「佐倉義民伝」などを得意とし、口演のあと都々逸や米山甚句などの余興をしたことでも知られた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報