大隅郡(読み)おおすみぐん

日本歴史地名大系 「大隅郡」の解説

大隅郡
おおすみぐん

大隅国の郡名。古代からみえるが中世に消滅、江戸時代に復活したが、明治二〇年(一八八七)に廃された。郡名の表記と訓は、「和名抄」諸本に「大隅」と記され、訓を欠くが、東急本国郡部にみえる大隅国の訓「於保須美」と同じであろう。古代は大隅国の南半を占め、大隅半島部の主要地域の名称が郡名になったもので、もとは広域にわたっていたとみられる。この地域に大和政権の勢力が伸張し、郡制が敷かれるようになると、姶羅あいら肝属きもつき地域が分立するかたちで大隅郡とともに三郡になったのであろう。それでも古代にはその残影を示すように大隅半島の東岸から西岸に至る広大な郡域を占めていたとみられる。中世には郡名は消滅するが、下大隅郡の呼称がある。下大隅郡の郡域は現垂水たるみず市および鹿屋かのや市の西部を含む大隅半島西岸に比定される。同郡は古代の大隅郡を分割した呼称と考えられるが、上大隅郡の呼称は史料上みえない。江戸時代に至って郡名は復活し、郡域は間に肝属郡を挟んで北部と南部に分断されている。北部郡域は現在の桜島西部の鹿児島郡桜島町、桜島東部の鹿児島市、および垂水市(新城・牛根境を除く)、南部郡域は現肝属郡大根占おおねじめ町・根占町田代たしろ町・佐多さた町にあたる。

〔古代〕

大隅国が日向国から分立した和銅六年(七一三)に四郡の一つとしてみえる(「続日本紀」同年四月三日条)。「日本書紀」天武天皇一一年(六八二)七月三日条の朝貢記事に阿多あた隼人とともに大隅隼人の名がみえるが、この場合の大隅は大隅半島域をさしていたと考えられ、その名称が国名・郡名に継承されたのであろう。大宰府跡出土の天平期(七二九―七四九)木簡にも郡名がみえる。この地域を代表する豪族として大隅直がいる。一族のなかには天武朝以前に畿内に移配されたものがあり、「日本書紀」天武天皇一四年六月二〇日条に畿内豪族一〇氏とともに大隅直が忌寸姓を与えられたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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