大阪城(読み)おおさかじょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大阪城」の意味・わかりやすい解説

大阪城
おおさかじょう

金城,錦城ともいい,明治以前は大坂城とも書かれていた。大阪市中央区馬場町にある平城。初めこの地には石山本願寺があったが,天正8 (1580) 年8月,11年余にわたる織田信長との対戦ののち,一向一揆は信長にくだった。その際火災が起り,全伽藍は灰燼に帰した。信長の死後豊臣秀吉は天下統一の本拠として,この地に新しい形式の城と町づくりを目指し,同 11年,浅野長政増田 (ました) 長盛を工事奉行に,山村正清を大工棟梁にして築城工事を起した。築城にあたっては,関西三十余国の大名に命じて,日平均数万人の人足を動員し,3年を費やして同 13年に完成した。本丸,二の丸,三の丸の石垣は3里8町 (12km) もの長さであった。石垣は切合せという手法で築かれ,幾里もある周囲の石垣が,全部根本で一つに固められているのがこの城の特徴である。天守閣は,内部は金箔で飾られ,軒瓦にはすべて金を張り,秀吉の桐紋が輝き,2層以下は塗籠め,5層は回廊,高欄を回し,高欄の上に鶴,下に虎の純金の彫刻をはめ,切妻の金具はすべて黄金であったという。現在の大阪城址は当時の東の丸,西の丸,三の丸にあたる。秀吉の死後,慶長3 (98) 年,秀頼が伏見城から移り増築したが,同 19年,大坂冬の陣で外郭がこわされ,外堀が埋められ,翌元和1 (1615) 年,夏の陣で落城の際炎上した。その後,松平忠明が配されて入城しさらに同5年,江戸幕府直轄領とし,大坂城代に内藤信正を任じ,同6年西国,北国の大名に命じて城の修築を行わせた。その後,火災のたびに修復を重ね,安政5 (1858) 年の修理に際しては,天守の櫓 (やぐら) を残してすべて再建されたというが,明治1 (68) 年,失火によってその大部分が焼失した。現在の天守閣は,1931年大阪市が建造したもので,鉄筋コンクリート建築である。

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事典 日本の地域遺産 「大阪城」の解説

大阪城

(大阪府大阪市中央区大阪城1-1)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

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事典・日本の観光資源 「大阪城」の解説

大阪城

(大阪府大阪市中央区)
日本100名城」指定の観光名所。

大阪城

(大阪府大阪市中央区)
日本三名城」指定の観光名所。

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