大野湊(読み)おおのみなと

日本歴史地名大系 「大野湊」の解説

大野湊
おおのみなと

[現在地名]常滑市大野町

大野にあった湊で、矢田やた川の河口、伊勢湾に臨む。連歌師宗牧は天文一三年(一五四四)伊勢の桑名くわな近くから舟で大野へ渡ったが、その「東国紀行」に、

<資料は省略されています>

と記す。文中の左馬允は大野庄・湊を支配した佐治氏である。家康も本能寺の変に際して、伊勢の白子しらこ(現鈴鹿市)から渡海して大野(一説には常滑)に立寄ったという。

天正二〇年(一五九二)の大野村屋敷地の検地帳には「大野内湊村」とみえる(→大野村。知多郡大野庄大野村由緒書によると、江戸期には二四〇間に及ぶ石堤と、河口には六〇間に張出した石猿尾があり、「当湊に八石之御役定細米御座候。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報