大軽村(読み)おおかるむら

日本歴史地名大系 「大軽村」の解説

大軽村
おおかるむら

[現在地名]橿原市大軽おおがる

見瀬みせ村の東、石川いしかわ村の南に立地。「古事記」「日本書紀」には軽境岡かるのさかいおか宮・軽曲峡かるのまがりお宮・軽境原かるのさかいばら宮・軽島明かるしまのあきら宮などの宮名がみえ、軽のつく地名には、軽池・軽坂(応神紀)、軽村(雄略紀)軽曲殿かるのまがりどの(欽明紀)軽街かるのちまた(推古紀)、軽市(天武紀)などがあり、軽街は「かる諸越もろこしちまた(日本霊異記)ともいった。軽は大軽村付近の地域名と考えられる。厩坂うまやさか道・厩がつくられ(応神紀)、紀伊国に通じる軽路(万葉集)があるなど、早くに開けた地であった。

宝亀一一年(七八〇)一二月二五日の西大寺流記帳に「高市郡加隆庄」、建久二年(一一九一)五月一九日の西大寺所領庄園注文(西大寺文書)にも「高市郡加留庄」とある。寛弘二年(一〇〇五)藤原道長は軽寺に宿泊している(御堂関白記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報