だいとう‐れき【大統暦】
〘名〙
中国の明代の暦。明の漏刻博士元統が作ったもので、
太祖の
洪武一七年(
一三八四)を
暦元とする。以来明末までの二百数十年間にわたって施行された。
日本では貞享元年(
一六八四)、
誤差の多くなった
宣明暦を廃して大統暦を採用しようとして三月三日
改暦の
宣旨を発し、四月二九日大統暦を頒行した。しかし
渋川春海は大統暦を不正確と主張し、
実験によってそれを証明したので、同年一〇月二九日再び改暦の宣旨が出て
春海の
創意による
貞享暦が
新暦として採用された。
※貞享暦(1822)一(古事類苑・方技五)「依
レ改
レ暦、去春可
レ被
レ用
二大統暦
一由雖
レ被
二宣下
一止
二大統暦
一用
二新暦
一、可
レ号
二貞享暦
一」 〔
続文献通考‐象緯考・古法沿革〕
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デジタル大辞泉
「大統暦」の意味・読み・例文・類語
たいとう‐れき【大統暦】
中国、明代の1368年、漏刻博士元統が元の授時暦に基づいて作った暦。二百数十年にわたって施行された。日本でも貞享元年(1684)に採用されたが、わずか半年で渋川春海の貞享暦に代えられた。
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大統暦 (だいとうれき)
Dà tǒng lì
中国の明代の暦。1281年(元の至元18)から施行された授時暦は元が滅んだ後,大統暦と名称を変えて明の滅亡(1644)まで用いられた。授時暦のなかの消長法を除外したもので,元統が1384年(洪武17)に編成し,翌年から実施された。明初の1368年(洪武1)から84年までの暦も本質的には授時暦であったが,やはり大統暦と称されていた。食の予報には回回暦が参用された。
執筆者:橋本 敬造
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大統暦
たいとうれき
中国,明代に行われた暦法の一つ。郭守敬のつくった授時暦に修正を加えたもので,洪武1 (1368) 年から約 260年間用いられた。1年の長さを 365.2425日 (正確な1太陽年は 365.2422…日) とするなど,かなり精度の高いものであった。しかし,崇禎2 (1629) 年の日食の予報がはずれたため,以来,西洋天文学による暦がつくられることになった。なお,日本でも 1684年,宣明暦から貞享暦に移る8ヵ月間,この大統暦が用いられた。
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