大秦(読み)たいしん(英語表記)Dà qín

精選版 日本国語大辞典 「大秦」の意味・読み・例文・類語

たい‐しん【大秦】

(「だいしん」とも) 中国後漢代から唐代・宋代までの史書で用いられているローマ帝国呼称

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デジタル大辞泉 「大秦」の意味・読み・例文・類語

たいしん【大秦】

代の中国で、ローマ帝国あるいはその東方領土の呼称。

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改訂新版 世界大百科事典 「大秦」の意味・わかりやすい解説

大秦 (だいしん)
Dà qín

後漢以降の,史書に現れる西方の国。後漢の班超の西域経営以後,西方に中国に劣らぬ文明国の存在が伝えられ,〈大いなる秦〉と呼んだ。その王安敦(すなわちローマ皇帝マルクス・アウレリウス)の使者と称する者も到来した。この呼称が,ローマ帝国全体をさしたのか,その一部の東方領だけかについては諸説がある。また語源についても,イラン語で西方を意味するdashinaの音訳とする説もある。南北朝期より東ローマ(ビザンティン)帝国は払菻ふつりん)(ルーム)の実名で明確に認識された反面,大秦は空想の国となり,唐代景教の伝播とともにキリスト生誕地にあてられるなど観念化された。なお,宋代にはバグダードを特定する場合が多い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大秦」の意味・わかりやすい解説

大秦
たいしん

中国、後漢(ごかん)の時代に交流があった西方の大国ローマ帝国をさす名称。『後漢書(ごかんじょ)』『魏(ぎ)書』などには「大秦国は一名犂鞬(れいけん)。海の西にあるので海西国ともいう。人民は端正、長大で、衣服、車旗が中国に似ていることから(秦に対応させて)、大秦とよんだ」と記録されている。ローマ帝国領東部のシリアアレクサンドリアなどをさすという説もあるが、一般にはローマ帝国本土と考えるほうが妥当であろう。後漢の桓(かん)帝延熹(えんき)9年(166)に大秦王安敦(あんとん)(マルクス・アウレリウスアントニウス)が洛陽(らくよう)に使者を派遣したことも伝えられている。

[鶴間和幸]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「大秦」の解説

大秦(たいしん)
Daqin

西域国名。漢魏時代にローマ帝国の東方領土すなわちエジプト,シリア方面を大秦と呼んだ。後漢の西域都護班超(はんちょう)部下甘英を紀元97年に派遣したことが記録されている。のちに166年大秦王安敦(あんとん)の使と称するものが海路中国を訪れている。しかし南北朝時代に入ると大秦は空想の国となり,現実のローマ帝国は払菻(ふつりん)と呼ばれるようになった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大秦」の意味・わかりやすい解説

大秦
だいしん
Da-qin; Ta-ch`in

中国の史書にみえる国名。後漢の時代に知られ,桓帝の延熹9 (166) 年にその王安敦 (ローマ皇帝マルクス・アウレリウス ) の使いと称する者が海路中国に来た。この国がどこであるか諸説があるが,一般にローマ帝国あるいはローマ領の西南アジアをさすと考えられている。またこの国名の由来については明らかでなく,中国に劣らないりっぱな国なので大秦 (秦は中国の意) と呼んだとか,ペルシア語で西方を意味するダシナ dashinaの音訳であるとかいわれる。

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百科事典マイペディア 「大秦」の意味・わかりやすい解説

大秦【だいしん】

中国の史書に記された西方の国。後漢のころ班超の部下の甘英によって知らされた。その位置についてはアラビア半島説,シリア・メソポタミアのローマ帝国領説,ローマ帝国説などがある。宋代にはバグダードを大秦と称している。

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普及版 字通 「大秦」の読み・字形・画数・意味

【大秦】たいしん

ローマ帝国。

字通「大」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の大秦の言及

【甘英】より

…西域経営で大活躍した班超の部将である。97年(永元9)に班超の命令で大秦国(ローマ帝国)への使者となって出発した。安息国(パルティア)を過ぎて条支(じようし)国まで進んだが,そこから大秦にいたる航海が危険であると聞いて引きかえした。…

【大秦景教流行中国碑】より

…西安の陝西省博物館内の碑林に現存する。唐の781年(建中2),唐都長安の義寧坊にあった大秦寺に立てられたもので,明代の末年に同寺のあと金勝寺の境内から発掘された。景教とは当時の中国人がネストリウス派のキリスト教を呼んだ語であり,大秦とはその発生地ローマ帝国の東方領をさし,寺院を大秦寺(中国へは直接ペルシアから伝わったので,初めは波斯寺と称した)といったのである。…

※「大秦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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