大福庄(読み)おふくのしよう

日本歴史地名大系 「大福庄」の解説

大福庄
おふくのしよう

於福おふくかみ・於福町下一帯と思われる石清水いわしみず八幡宮(現京都府八幡市)領の荘園。立荘年代、荘域とも不詳。

文明一三年(一四八一)三月二〇日付の室町幕府奉行衆下知状(石清水文書)に、「石清水八幡宮領長門国大福庄吉見郷等事、以前被成奉書之処、当代官年貢令無沙汰云々太不可然、所詮速可致究済」とみえる。この文書によれば、大福庄と豊西ぶんさい吉見よしみ(現下関市)の代官が年貢を滞納したので、室町幕府が長門守護大内政弘にその究済を命じたことがわかる。しかしこれ以前当地はすでに石清水八幡宮の所領であったことが、応長元年(一三一一)一二月一五日付の善法寺尚清処分状写(石清水文書)から知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報