大猷院廟(読み)だいゆういんびょう

世界大百科事典(旧版)内の大猷院廟の言及

【日光東照宮】より

…これより以前,日光山領は豊臣秀吉により門前,屋敷,足尾村以外を没収されたが,秀忠は20年日光山領に1400石を加増,東照社領5000石を寄進した。日光山に家光の大猷院(だいゆういん)廟が建立されると,52年(承応1)堂領3630石余が寄進され,55年(明暦1)東照宮領は1万石とされた。この本高1万3630石余に93年(元禄6)の検地打出高,1700年の足知(たしち)が加わり2万5000石余となったが,92年(寛政4)新御領上知により2万0900石余となった。…

【日光奉行】より

…幕府は1648年(慶安1)ごろより目付を1人在勤させ,日光東照宮の警備と山中の監察に当てた。3代将軍徳川家光の没後,その遺臣梶定良が大猷院(家光)廟定番(じようばん)となり,ともに日光山を管轄したが,のち目付在勤制を廃し,日光奉行を創設した。老中支配,定員2名,役高2000石,役料500俵。…

【輪王寺】より

…栃木県日光市にある天台宗の寺。山号は日光山。日光門跡,御本坊とも称した。日光山の山岳信仰の歴史は古く,寺も天平のころ勝道が開創した四本竜寺に始まると伝える。寺名はその後四本竜寺から満願寺に変わり,院号も一乗実相院,光明院へと変わった。1613年(慶長18)天海が中興した。17年(元和3)東照大権現の号を贈られた徳川家康の廟が建てられ,36年(寛永13)には大造営が行われた(日光東照宮)。これより先,1621年に本坊が造営され,東照宮の別当寺としての役割を果たすこととなった。…

※「大猷院廟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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