大庭御野(読み)おおばのみの

百科事典マイペディア 「大庭御野」の意味・わかりやすい解説

大庭御野【おおばのみの】

現大阪府守口市の淀川南岸,河内国茨田(まんだ)郡の大庭と汎称された地域にあった皇室領荘園掃部寮(かもんのりょう)領で,大庭荘ともいう。《遊女記》に〈掃部寮大庭庄〉とみえるのが初見だが,起源は《令集解》(職員令掃部司の〈古記〉注)にみえる〈茨田葦原〉,《延喜式》(掃部寮)記載の(蒋沼一百九十町)にまでさかのぼるものと推測される。《延喜式》では〈蒋(まこも)一千囲〉〈菅(すげ)二百囲〉〈莞(い)五百囲〉を納めることに定められている。鎌倉時代の大庭庄は紅花,薦(こも)を公役として負担する名田畑をもつ供御所であったが,次第に名田畑が私領化し,さらに南北朝期には武家押領が激化して公役を勤仕することもできない状態に陥り,掃部寮の支配は衰退していった。

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改訂新版 世界大百科事典 「大庭御野」の意味・わかりやすい解説

大庭御野 (おおばのみの)

河内国茨田郡(現,大阪府守口市)の皇室領荘園。掃部寮(かもんのりよう)領。律令時代に置かれた掃部寮所管の〈蔣沼(こもぬ)〉190町に由来し,淀川河畔の沼沢原野に群生する真菰(まこも)・菅の類を,宮中で用いる薦・畳等の原料として貢進した。大庭御野は,菅生野・太瀬野・外野などの原野から成り,御野の管理と菰・菅等の貢進をつかさどる供御所が置かれ,住人は供御人として同所に所属し,掃部寮の諸役をつとめた。鎌倉末,1323年(元亨3)の〈掃部寮領大庭御野供御人等申状案〉(摂津勝尾寺文書)によると,同御野は文武天皇の大宝年中(701-704)に庄号を立てられ,禁裏仙洞の供御や諸神諸社の祭礼役をもっぱら務めてきたという。中世の大庭御野は,私領化した名田畠を基本とする荘園となり,供御の公役をつとめるための〈薦田〉が設けられていたが,やがて私領田畠が外部に売却され,没官(もつかん)による武士の知行などによって,掃部寮の支配は衰退していった。
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