おお‐ひら おほ‥【大平】
〘名〙 平たく大きな、蓋つきの椀
(わん)。また、それに
一つ盛りにして出す料理。椀の形は普通の
平椀に同じだが、直径は三五センチメートル、一九センチメートルのものなどがある。大平椀。
※洒落本・金錦三調伝(1783)「大ひらにでもいたしませうか」
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デジタル大辞泉
「大平」の意味・読み・例文・類語
おお‐ひら〔おほ‐〕【大平】
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大平
うふんだ
[現在地名]浦添市大平・大平一―三丁目・安波茶一丁目・屋富祖二丁目
小湾川中流右岸に位置し、北は屋富祖村・城間村、西は宮城村、南は沢岻村。近世末期、安波茶村の大平原を中心に和久原・平田原・鏡原・老年原、沢岻村の追年原・瓶平原に士族層が寄留して形成された屋取集落。最初に居住したのは比嘉家・安谷屋家といい、遅れて佐久川・当山・与座・当銘・豊元各家が続いた。佐久川一門が多いので佐久川屋取ともいう。中央を南東から北西に中間村の浦添間切番所と那覇を結ぶ街道(通称泊道)が通り、途中の小湾川中流の追年原付近に架かる追年橋(別名老年橋)は、慶長一四年(一六〇九)薩摩島津軍の琉球侵攻の際に戦死した浦添里之子朝盛(向功聞、童名真山戸)が平石をもって築いたとの伝承がある(「字誌たくし」など)。
大平
おおひら
[現在地名]可児市久々利
大萱の奥、土岐川支流五斗蒔川最上流部にある。久々利村の枝郷。大平窯由緒書(加藤文書)などによれば、永禄年間(一五五八―七〇)加藤五郎右衛門景豊が尾張瀬戸から織田信長の朱印状を携えて来住、開窯したと伝える。「濃州徇行記」には丸山村の東山奥、下街道へ出る道筋にあるとあり、家数五・人数二〇ほど。農業は実りが悪く、瀬戸焼・瓦焼を渡世とする者もいる。茶碗・徳利・片口の類、花瓶などを生産し、瀬戸物窯二立・瓦窯一立がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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大平 たいへい
?-? 明治時代の陶工。
明治23年(1890)ごろ,東京で大平造の銘をつけた無釉(ゆう)の火鉢類を製造した。
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