大川目村(読み)おおかわめむら

日本歴史地名大系 「大川目村」の解説

大川目村
おおかわめむら

[現在地名]久慈市中町なかまち八日町ようかちよう十八日町じゆうはちにちまち二十八日町にじゆうはちにちまち荒町あらまち西にしさわ川貫かわぬき大沢おおさわ・大川目町・枝成沢えだなりさわ畑田はたけだ沢里さわさと寺里てらさと天神堂てんじんどう栄町さかえちよう新中しんなかはしなかはし表町おもてちよう新町しんちよう

久慈川の中・下流域に位置し、東は門前もんぜん村・長久寺ちようきゆうじ村・長内おさない村、南は小久慈こくじ村、北は夏井なつい村・早坂はやさか村に接する。東を浜街道が通り、街道筋からははずれるが寺里には弘化三年(一八四六)の庚申塔があり「右八日町 左みなと」と記されている。江戸時代には久慈川下流右岸の八日町、中流右岸の三日みつか町の二つの町場が形成された。地名は蝦夷の首長宇漢米の名に由来するとされる。寺里には奈良・平安時代の住居跡が検出された寺里遺跡があり、久慈川左岸の新町の高台には久慈氏の居館久慈城跡がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報