大島(東京都)(読み)おおしま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大島(東京都)」の意味・わかりやすい解説

大島(東京都)
おおしま

東京都大島支庁大島町(全島1町)に属する島。伊豆諸島(いずしょとう)最北端にあり、諸島中の最大の島である。伊豆大島と通称される。周囲52キロメートル、面積91.06平方キロメートル、人口8688(2009)。東京の南南西約120キロメートル、伊豆半島下田(しもだ)港の東約40キロメートルにある。富士箱根伊豆国立公園に含まれている。

[菊池万雄・諏訪 彰]

自然

玄武岩質の活火山島で、北端の乳(ち)ヶ崎から岡田港付近には第三紀末期の旧火山岩体がみられるが、島の大部分は数万年前の海底噴火から生起した二重式の大島火山でできている。外輪山に囲まれた直径3~4キロメートルのカルデラ内にある中央火口丘三原山(みはらやま)(758メートル)とよび、内輪山ともいう。有史以後(684年以来)もしきりに噴火を繰り返してきたが、19世紀以後の噴火はすべて三原火口内であった。しかし、1950~1951年(昭和25~26)の大噴火では、砂漠とよばれる火口原にも多量の溶岩が流出した。また1986年の噴火ではカルデラ床や北側外輪山でも割れ目噴火が生じ、溶岩流が海岸近くの集落にまで迫ったため、全島民が約1か月間島外に避難した。1938年に設置された大島測候所(現、大島特別地域気象観測所)では、地上気象観測、地震・津波観測などとともに常時火山観測が行われている。

 南端の波浮港(はぶこう)は、小爆裂火口(マール)の跡である。近世初期まで波浮池とよばれていたものが、1703年(元禄16)の地震で海と通じて湾になった。西海岸の緩傾斜に対し、東海岸は150メートル余の垂直に近い海食崖(がい)の連続で、東西非対称である。気候は黒潮の影響が大きく、冬季にツバキが咲き乱れる温暖な海洋性気候であるが、火山島の宿命で水が少なく、近年まで天水依存であった。

[菊池万雄・諏訪 彰]

産業・集落

古くは元町(もとまち)(元村)、岡田は浦百姓(うらびゃくしょう)村あるいは海方村とよばれて漁業に従事し、差木地(さしきじ)、野増(のまし)、泉津(せんづ)は山方村あるいは釜(かま)百姓村といわれて製炭や製塩に従事していた。現在は自給的畑作農業のほか野菜、花卉(かき)などの園芸農業、酪農、椿油(つばきあぶら)の生産などが行われているが、主産業は観光業を中心とする第三次産業である。集落は、中央にある三原山の緩やかな西側山麓(さんろく)に沿って分布している。元町は島の中心集落で、大島支庁や町役場の行政機能が集中しており、島の玄関口でもある。東京、横浜、熱海(あたみ)から定期船が就航しているほか、下田、伊東、館山、久里浜から季節便が運行されている。北部の岡田は、元町の補助港の役目と空港(東京から40分)もあって島外交通の関門であり、また、もっとも漁業の盛んな所でもある。南部の波浮港は漁港であり、避難港である。湾内が浅かったのを浚渫(しゅんせつ)し、差木地村から分村して村づくりをし、1800年(寛政12)築港も完成された。

[菊池万雄・諏訪 彰]

観光

大島は奈良・平安時代には遠流地(おんるち)で、役小角(えんのおづぬ)(役行者(えんのぎょうじゃ))、源為朝(ためとも)の流刑で知られるなど、流人の遺跡がある。江戸時代に流刑地から除かれ、1920年代後半から観光地として注目され、御神火(ごじんか)、アンコ(姉子)、『波浮の港』の歌、牛乳風呂(ぶろ)などで喧伝(けんでん)された。現在は三原山を中心とする自然を求める観光客が多く訪れ、都立大島公園はじめ、自然休養村、筆の穂先を思わせる筆島とオタイネ明神、沖ノ根の椿トンネル、千波(せんば)崎、大島のサクラ株(特別天然記念物)、東海岸の断崖(だんがい)、行者窟(くつ)、風早(かざはや)崎、為朝館跡、大島温泉、伊豆大島火山博物館、大島町貝の博物館ぱれ・らめーるなど観光地も多く、四季を通じてにぎわっている。泉津にあるシイノキ山のシイノキ群、大島海浜植物群落は天然記念物。

[菊池万雄・諏訪 彰]

『立木猛治著『伊豆大島志考』(1969・同書刊行会)』『日本火山学会誌『火山・大島特集号』(1971)』

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