大山崎油座(読み)おおやまざきあぶらざ

改訂新版 世界大百科事典 「大山崎油座」の意味・わかりやすい解説

大山崎油座 (おおやまざきあぶらざ)

大山崎の地(現,京都府乙訓郡大山崎町)を本拠地として,鎌倉から室町時代を中心に繁栄した大山崎油神人(あぶらじにん)の座。現在の離宮八幡宮油座関係文書である《離宮八幡宮文書》が所蔵されている。それによると,1222年(貞応1)のものが初見であるが,《明月記》正治2年(1200)の条に藤原定家が山崎の油売の小屋に宿泊したことが見え,平安時代後期の作とされる《信貴山縁起絵巻》飛倉の巻は,校倉に米俵を多く蓄え,問丸の業務を務め,油搾りの締木とかまどを持ち,エゴマ油製造販売する〈石清水八幡宮の大山崎住神人〉である〈山崎長者〉の姿を伝えている。したがって大山崎油神人の活動は平安時代後期にまでさかのぼると思われるが,油座としての名称が史料に見えるのは,1582年(天正10)7月の〈羽柴秀吉条々〉(《離宮八幡宮文書》)が最初である。

 従来,大山崎油座については,石清水八幡宮の別宮離宮八幡宮に属する灯油販売の神人の組織だと考えられてきたが,離宮八幡宮の成立はこれまで漠然と説かれてきたように859年(貞観1)の宇佐八幡神の男山遷幸の時点ではなく,南北朝期ころである。その縁起を伝えた《離宮八幡明験図》(徳川黎明会所蔵)は14世紀ころの成立である。油神人の組織は石清水八幡宮を紐帯とする宮座(商業座)で,座衆は4月3日の日使神事(日使頭祭)を第一の重役とするほか,八幡宮の淀川遡航船の御綱引や鏡澄の奉仕,八幡宮内殿灯油の備進といった奉仕や献納のかわりに,種々の特権を許され余剰油を販売する商人だった。その特権は,美濃不破関以下,兵庫,河尻,神崎,一洲,渡辺,大津,坂本,鵜殿,楠葉などの関所の関銭・津料の免除,室町幕府が賦課した公方役・公事・土倉役の免除,原料エゴマの仕入れ・製造・販売の独占権であり,これに対立する地方油商人は幕府,守護から油商売の停止を命じられている。鎌倉から室町時代にかけて,大山崎油座は主として瀬戸内海沿岸地域に栽培されたエゴマを優先的に購入し,大山崎で製油し,畿内近国一帯を中心に独占的営業を行って繁栄した。座衆は京都へも進出し,1376年(永和2)の〈大山崎住京新加神人等被放札注文〉では,64人の住京商人が新しく神人として営業を認められている。室町時代,油座は地方の油商人に座衆の第一の重役である日使神事の費用負担者たる頭役を賦課し,大山崎の本座の支配下においている。また大山崎油座の基底には,山崎の地主神を紐帯とし,長者衆に率いられる宮座が,13世紀以降存在していた。油座は応仁の乱によって山崎油売が四散するなどの大きな打撃を受け,織田信長のとき,洛中油座の破棄を命じられた。後に豊臣秀吉によって特権を認められているが,大山崎の製油業は近世におけるナタネ,綿実油の普及により衰微した。
油座
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大山崎油座」の意味・わかりやすい解説

大山崎油座
おおやまざきあぶらざ

中世、京都府乙訓(おとくに)郡大山崎町付近を本拠地として繁栄した油座。その関係文書は『離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)文書』として著名。従来この油座は、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の末社離宮八幡宮に属するとされてきた。しかし離宮八幡宮の成立は南北朝期のことで、座の成立過程は、鎌倉期にはすでに成立している大山崎の地主神(後の天神八王子社)を中心に長者衆に統率される宮座が基底となり、石清水八幡宮に奉仕する宮座(商業座)が構成されたものである。座衆(油神人(じにん))は八幡宮を本所として第一の重役である4月3日の日使(ひのつかい)神事(日使頭祭(ひのとさい))を務めるほか、鏡澄奉仕や御綱引、八幡宮内殿灯油の献納などを務め、余剰油を販売する商人であった。彼らは1222年(貞応1)には美濃(みの)国(岐阜県)不破関(ふわのせき)の関料免除を認められ、1311年(応長1)には淀(よど)、河尻(かわじり)、神崎(かんざき)、渡辺、兵庫以下諸関の津料(通行課役)免除を許された。そしてさらに関料、津料免除の特権を拡大し、室町期には幕府から神人の住地(淀川右岸の東は円明寺、西は水無瀬(みなせ)川を限る地域)は公方課役(くぼうかやく)免除、守護不入の地とする特権を与えられたほか、京都へも進出して店舗を構えた。鎌倉から室町期にかけて、座衆はおもに瀬戸内海沿岸地域で栽培されるエゴマ(荏胡麻)の仕入れ、油の製造、販売の独占権を与えられ、地方の油商人も支配下に置くなど、符坂(ふさか)油座(興福寺大乗院(こうふくじだいじょういん)を本所とする)が営業する奈良、大和(やまと)を除く畿内(きない)近国一帯、山陽四国地方にまで勢力を振るった。しかし応仁(おうにん)の乱の際、油売りが四散するなどの打撃を受け、織田信長のとき洛中(らくちゅう)油座の破棄を命じられたという。豊臣(とよとみ)秀吉は大山崎油座の特権を認め、洛中油座の復活も認めているが、それも一時的なもので、菜種油、綿実油の出現により製油業の中心は大坂に移った。

[小西瑞恵]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大山崎油座」の意味・わかりやすい解説

大山崎油座
おおやまざきあぶらざ

石清水八幡宮の末社,山城大山崎離宮八幡宮に属した油座。本来この八幡に勤仕して灯油を扱っていた神人らがいたために,関税その他の免税という保護のもとに油商人の座が形成された。エゴマ (荏胡麻) 仕入れ権,油の製造,販売権を握り,鎌倉,室町時代を通じて独占的特権油商人として,畿内,東国,四国,九州にわたって経済界に活躍した。応仁の乱後衰え,安土桃山時代,織田信長の楽市・楽座政策の断行によって打撃を受け,江戸時代はまったく衰えた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大山崎油座」の解説

大山崎油座
おおやまざきあぶらざ

中世に石清水八幡宮神人(じにん)を主体とし,山城国大山崎(現,京都府大山崎町)の離宮八幡宮に所属した油座。諸関料免除の特権をもち,南北朝期頃には京都での油販売を独占,さらに室町幕府の保護をうけて原料購入・油販売の独占権を諸国に拡大した。応仁の乱以降は幕府権力の失墜,豊臣秀吉による座の破棄,菜種油の全国的な大量生産をへてすっかり衰えた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大山崎油座」の解説

大山崎油座
おおやまざきあぶらざ

中世,大山崎離宮八幡宮を本所とする油座
灯油献納・神事奉仕などを行い,油の原料仕入・製造・販売の独占権と関銭免除などの特権を得て,近畿・西国に活躍した。現地住人のほか,地方居住の商人も参加。これらの従事者を神人 (じにん) と呼ぶ。応仁の乱(1467〜77)以後衰えた。

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世界大百科事典(旧版)内の大山崎油座の言及

【油】より

…疎水性の液状物質を一般に油という。その代表的なものに動植物性油と鉱物性油とがある。前者は長鎖脂肪酸のグリセリンエステルすなわちトリグリセリドを主成分とし,後者は炭化水素が主成分であるというように,その化学的組成はまったく異なる。動植物性油については油脂という名称も用いられるが,この場合,常温で液体のものを油oil,固体のものを脂fatと区別する。油脂は生物組織の構成成分として,またエネルギー源として,タンパク質や炭水化物とともに重要な成分である。…

【油座】より

…すでに鎌倉時代の中期,大和国では興福寺大乗院を本所とする符坂油座,摂津国天王寺木村の油座,大和国矢木仲買座が専売権をもち,符坂油座は春日社白人神人として,大和一円に営業上の優越的な地位を確保していた。ほかに油座は山城国大山崎,摂津国木野,近江国建部,駿河国今宿,筑前国博多(箱崎八幡宮を本所とする油座)など各地にみられたが,なかでも石清水八幡宮に奉仕する大山崎油座は,諸国諸関の関銭免除の特権をもち,主として瀬戸内海沿岸の地方からエゴマを船で大量に仕入れ,大山崎の地で加工してから各地にこれを販売し,京都はもちろん,畿内近国一帯,山陽・四国地方にまで販売上強力な独占権を握って活躍した。大山崎油座が最も勢力をふるったのは,鎌倉時代末から室町時代においてであり,応仁の乱によって油売が四散するなど,大きな打撃を受けて衰微した。…

※「大山崎油座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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